18年前の今日 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

今日という日は、いまだに忘れない。

18年前の昨日の真夜中に母が飼い猫を、寒いと思い家に入れようとしたところ、疲れていたためか、普段運動神経の良かった母が、駐車場の隙間に、頭から落ち転落。頚椎損傷。

そして18年前の今日、昼の2時頃、天に召された。

 

当時、とある牧師が起こした問題のために、悲しみ悩む人のために走り回っていて、心も体も疲れていたのかな、と同じように同年脳内出血で倒れた父と話していた。

本当は、父があと1年神学校で学び終えれば、母と開拓伝道に出る予定だった。

でも、それでも父は諦めず、今度は障がいのある兄を連れて、一緒に行こうと考えていた。

 

この出来事で父の神学校の多くの同級生、下級生が駆けつけてくださり、助けてくださった。

途方に暮れる私たちを支えてくださった。今彼らはみんな素晴らしい働きをしている…

本当に感謝。

 

両親は本当は北海道で開拓伝道を予定していた。

そのバトンを受け取って私は今北海道に来ている…今小さな家の教会がスタートしていますが、私も心臓のこともあり、どこまでできるか分かりませんが、それでも、最後の最後まで両親のように信仰のレースを走り続けたいものです。神様と家族と一緒に。

 

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」(ヘブル人への手紙12章1−3節)