私たちも年を取れば様々な能力を失うし、事故などによって何かしらの欠損がでてしまうかもしれない。私の曽祖父も、若い頃神童、とよばれていたそうですが、火事によって生家が焼け、両親は死に、全盲になってしまい嘆いていた。
しかし、ある著名な方と出会い、イエス様のことを知らされた。このことも、イエス様の栄光が現されるためだったんだ、と喜び最後の最後まで石を投げられ、凍傷になりそうになり、ツバキを測れようと伝道を続けました。
それはその過去の痛みにばかりとらわれるのではなく、
イエス様にあって与えられた命、これを喜んだからではないか。その先に結ばれていく実、そして死して後、新しい、喜びの日を待ち望んだのではないか。
神様が変えて下さる大いなる事をいつも喜び、待ち望もう。
車椅子・ゴスペルシンガーのジョニー・エリクソン・タダ氏は語る。
過去の失われたこの世の体よりも、新しく天国で与えられる体の方が、ずっと身近に感じられる・・・あなたはきょう、どこに思いを馳せているだろうか。過去に失ったもの、それとも失った人だろうか。健康や体力、視力や聴力を失ったこと、そして、愛する者を失った事にとらわれているだろうか。思い出すとまだ胸が痛むだろうか。けれども、少しの間、過去にとらわれるのをやめて、未来へと目を向けよう。『過ぎ去った事』ではなく、『まもなく始まる事』に期待を抱くようにしよう。
