過去に失われたのものよりも… | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちも年を取れば様々な能力を失うし、事故などによって何かしらの欠損がでてしまうかもしれない。私の曽祖父も、若い頃神童、とよばれていたそうですが、火事によって生家が焼け、両親は死に、全盲になってしまい嘆いていた。

 

しかし、ある著名な方と出会い、イエス様のことを知らされた。このことも、イエス様の栄光が現されるためだったんだ、と喜び最後の最後まで石を投げられ、凍傷になりそうになり、ツバキを測れようと伝道を続けました。

 

それはその過去の痛みにばかりとらわれるのではなく、

イエス様にあって与えられた命、これを喜んだからではないか。その先に結ばれていく実、そして死して後、新しい、喜びの日を待ち望んだのではないか。

神様が変えて下さる大いなる事をいつも喜び、待ち望もう。

 

車椅子・ゴスペルシンガーのジョニー・エリクソン・タダ氏は語る。

過去の失われたこの世の体よりも、新しく天国で与えられる体の方が、ずっと身近に感じられる・・・あなたはきょう、どこに思いを馳せているだろうか。過去に失ったもの、それとも失った人だろうか。健康や体力、視力や聴力を失ったこと、そして、愛する者を失った事にとらわれているだろうか。思い出すとまだ胸が痛むだろうか。けれども、少しの間、過去にとらわれるのをやめて、未来へと目を向けよう。『過ぎ去った事』ではなく、『まもなく始まる事』に期待を抱くようにしよう。