休むということ | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちは仕事にどうしても追われる。

休んだら迷惑がかかるから、とか。収入が減るから、とか。

仕事をするのが仕事だからとか。

もうむちゃくちゃですね。

 

ティモシー・ケラー氏は語る。

安息日とは、減少したのを取り戻すということです。枯渇したのを補充するということです。壊れたのを修復するということです。単なる休みではありません。

 

もちろん昨日の投稿(1つ↓)でみたように、ただ単に教会に行けば良い、という日でもありません。神様が、あなたの枯渇した体力、精神はもとより、霊を注がれる。その中で私たちは生きたものとされる。私たちは神様との関係を蔑ろにせず、神様が取り戻してくださったこの命、神様とともに歩ませていただこう。大丈夫、あなたはイエス様の十字架と復活にあって保証されているから。