ー今見るべきことはなにかー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。」

ヘブル人への手紙11章23節

 

こどもは目に入れても痛くない、なんて表現がありますが、実際に入れたら痛いんでしょうね。そんな事をする人はいませんが。ただ、フィルターを取ってみると、どうしても気になってしまうこともある。実際に何でも見逃していたらどうなるでしょうね。私達の命は、あなたの周りにいる人は神様が命を与えてくださったあなたであり、人です。私たちはこの事実を覚え、神様に感謝し、生きよう、この与えられたいのちを。

 

さて、新約聖書の分かち合いは今ヘブル人への手紙の中にパウロが列挙した信仰者達を見ています。今回は、いま旧約聖書で見ている分かち合いに出てくるモーセの両親の信仰、と言ったら良いかもしれません。↑はモーセの信仰、と見えますが彼は実際何かをしたわけではありませんし、どちらかというと、父アムラムと母ヨケベデの信仰について、と言えるでしょう。

 

彼はいま旧約で見ている通り、イスラエル人がエジプトのラムセスの治世で奴隷として囚われ、生まれてきた男の子はナイル川に流すようおふれが出ていた状況でした。旧約の方ではあまりふれられませんでしたが、ナイル川はある意味でファラオにとっては神聖な川。そういう意味で、ただ殺せ、という以上に(その前のお触れでは生まれたら分娩台で殺すようにおふれを出していたのに)、彼らの信仰をくじけさせようとしていた、彼らの心を、魂をくじけさせそうにしていたのではないか、と思う。

 

そのような状況の中で、ヨケベデはモーセを出産しました。まあ実際に名前がつくのは先の話ですが。ここの箇所はなかなか面白い表現をシています。「信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした」と。彼らがその子が美しくなかったら、捨てたのか、王の命令に従っていたのか。不思議な疑問が出てきます。

 

この美しいという言葉の原語は「尋常ではない、普通ではない、並ではない美しさ」と使われています。上品さ、そういった面もあるでしょう。じゃあ他の人はそうじゃないのか?私たちは混ずこの点を忘れてはいけない。あなたもそうなのです。見かけ?違う。すべての点において神様があなたを高価で尊い存在と見ている。この世の宝にも勝る最高の存在なのです。だからこそ、私たちはそのように聖なる器とされたなら、神様の最高傑作とされたなら、私たちはこの神様に与えられたいのちをどう生きましょうか。

 

さて、ここで終わったら信仰もへったくれもありません。なくもありませんが尋常になく美しかったから、捨てなかった、王に従わず、神様に従った。まだもう一歩踏み込む必要があります。他の訳を見ていると「神の目にかなった子どもであったから」とあります。美しさ、それはどちらかというと神様の栄光の輝きを、彼のうちに見たから、神様が働かれようとされているのを見たから、とも見ることができますね。信仰によって、その神様からのサインを見逃さなかったのです。

 

私たちは時になにかに屈さなければならない場面に出会うことがある。この先の困難な時代を迎える時、私たちは試されるだろう。しかし、その時何を見るのか。神様からのサインを忘れてはいけない。神様は御子イエス様を聖霊様によって処女マリアに身籠らせ、生まれ、罪を侵さない点を除いて全く人と同じように歩まれ、愛を注がれ続けた。どんなに裏切られようと、見捨てることなど決してなかった。神様はどこか遠い存在なのではなく、この神様が共におられる限り、私たちは恐れ、神様に従う選択を捨てる必要などないのです、モーセをナイル河に流す、ナイルの偽神に捧げさせようと困難極まりない選択をされようとも、神様はあの十字架に最大のサインを見せてくださったのです。

 

あなたの重荷も、あなたの罪も全部背負い、十字架にかかられ死なれた。しかし3日目によみがえられたことによって、これらに完全に勝利された。私達がこのイエス様を受け入れるとき、私達もまたこの復活の恵みにあずからせていただけるのです。あなたは神様の子、最高の美しい、宝とされるのです。

 

私たちは何をも恐れることはない。これほどまでに愛された御子イエス様があなたを、世の終わりまで共におられ、導かれるのです。誰かの顔色をうかがい、恐れ、自分の信仰を、思いを、魂を、捻じ曲げる必要はない。全て神様に委ねよう。事をなされるのは神様なのだから。この先モーセを導いていったように、神様が導かれるから。神様が働かれる一瞬一瞬のサインを見、信頼し、歩もう。神様が見せてくださる御心・栄光を待ち望み。