失望と希望、主権は? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私達は自分が思う通りにいかないときに嫌な思いをするし、

それがまかり通ってしまえば納得できないでしょう。

 

それが自分の思い描く計画と神様の計画が違うときならなおさらのこと。

しかし1つ↓の投稿でも書きましたが、私達は神様自身を踏みにじっていないだろうか?主権は神様にある。神様に委ねよう。神様が希望へと導かれるのだから。神様こそ主権者なのだから。

 

マックス・ルケード氏(牧師であり、作家であり、絵本作家)はこう言う。

私たちが望むように神さまが動いて下さらない時、納得するのは簡単ではありません。それは、これまでもそうだったし、これからもそうでしょう。信仰とは、神さまが私たちよりも多くをご存じであり、私たちがそれを乗り切れるようにしてくださると、確信することです。期待通りにならないと人は失望し、新たに与えられた希望によって失望が癒されるのです。うろたえず、あきらめず、忍耐するのです。主権は神さまにあります。本当の終わりがくるまでは、終わらないのです。