惜しい人を… | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

昨日仕事中、すぎやまこういち死の訃報のニュースが飛び込んできた。

ドラクエ世代の私にはびっくりで、多くの曲が頭の中を流れた。

いずれにしても彼のご遺族様の上に神様の慰めがありますように…

 

さて、この手の話がTVで流れるたびに思うのは、

有名人の訃報はよく流される。

でも一般人まで取り上げていたらきりがない、だから流さないのか?そんなに価値が違うのか?

とんでもない。

 

みな神様の前には愛されたものです。

あなたのために、御子イエス様の命を惜しまなかった穂度に神様はあなたを愛されている。効果で尊い存在なのです。

 

ニュースや世間一般ではで「おしいひとをなくした」という。

でもなくしたのではない。神様はあなたをそれでも招かれる、天の御国に。

そのために、その道を開くべく御子イエス様を十字架にかけ死なせた。そして3日目によみがえらせて、その道を開かれたのです。すべて信じるものが罪を赦され、神様のもとに招かれる。死んでも生きる。なくした、それは人の目から。神様からしたら、愛する子、失われていた子が帰ってきた、得た日となる。私達もこの神様の懐にあって新しく生きさせていただける。

 

あなたは神様に愛されている。

この事を忘れないで。そして神様にお帰り、と言ってもらえるよう、この救いを受け取ろう。それは死んで始まるのではなく、受け取った瞬間からもう始まるから。