もし・・・がなかったら | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

もし、私が夏しか知らなかったら、主の言われる「雪よりも白く」という意味が、どうしてわかっただろうか。

 

もし、輝きに満ちた日しかなかったら、美しい神の国に行き、「涙をぬぐい取って下さる」とどうして言えたであろうか。

 

もし、疲れることを知らなかったら、「その愛する者に眠りを与える」という御言葉を心に留めておくことができただろうか。

 

もし、自分の墓が無かったら、虚しい道ばかり追っていて、永遠の命を思わなかっただろう。

冬も、涙も、疲れも、墓さえも、私を祝福する神の道なのだ。私がそれを不幸と呼んだとしても、それはなお、私に生を示してくれる愛のほか何ものでもないのだ。

 

ーJ・オズワルド・サンダースー

 

聖書はこう記します。

あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。」

イエス様があなたと歩まれる、どんな未知にも。これはあなたの道ではなく神様が導かれている、命がけのイエス様の愛が、いや復活のイエス様ご自身があなたと、どんな未知も歩まれる。この方に信頼し、歩もう。