自分の犯した悪い事だけが人に思い出されるとは、なんと悲しいことでしょう。それより、自分のした良い事だけが覚えられるのだったら、どんなに良いことでしょう。
少年時代の友人と、子どもの頃の出来事を話し合った時のことです。彼が言いました。「ジョン、覚えていますか。」「覚えていますよ。たった一つの事だけ。それだけなんですがね。あるとき、君は、腐ったトマトを私の顔に投げつけたことがありましたっけ。」 この男に関して私が覚えていたのは、これだけだったのです。
それからまた、たった一つの行ないのために覚えている人がいます。それは、親切な老婦人でした。名も知らないのですが、その夫人は私を子どもと見て、親切に指の切り傷に包帯をしてくださり、そのうえお菓子まで下さったのです。小さな事にすぎません。再びお会いする機会はありませんでしたが、その小さな行ないは、私の記憶に焼き付けられたのです。
あなたはどんなことによって人に覚えられているでしょう。あなたの行なった良い事によってでしょうか。それとも悪い事によってでしょうか。人々は今日、あなたの言葉や行ないを見て、あなたを本当のクリスチャンとして記憶に残すでしょうか。それとも、あなたの名前が出るたびに、不愉快な思い出がよみがえるだけというようなことはないでしょうか。あなたがきょう、仕事に出かけて行くとき、人はあなたの中にキリストを見ることができるでしょうか。人々があなたを思い出すとき、キリストをも思い浮かべることができるでしょうか。
ーM.R.デハーンー
神様は日々、あなたに恵みを注がれているし覚えてくださり、あなたに見心を刻まれている。私達はこのイエス様のくださった愛をいつも覚え、この方についていこう。