ある床屋さんとの会話(リアル床屋) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私もよく床屋にいきます。

東京に住んでいたときは、よく店長さんと話をしていました。お互いに情報交換をしながら、互いが偉いとは思わず、色んな話ができたのを覚えています。そして店長さんは私にベストを何とか尽くそうと、その話に耳を傾け、私は牧師なりに彼に今必要なことを語り…懐かしいのですが、そんな話をここで分かち合いたいのではなく…

 

↓の話を読んで感動したのでシェアします。

 

ある伝道師が、ひげをそってもらおうと床屋の椅子に腰掛けていました。

職人がカミソリを研いでいる間、その伝道師が、「あなたは救われていますか」と尋ねますと、その職人は例のごとく、「私は最善を尽くしています。それで良いのじゃありませんか」と答えました。

 

伝道師はひげをそり終わって、次のお客が椅子につくまで黙っていました。それから伝道師は立ち上がったと思うと、カミソリをつかんで、「このお客のひげをそらせてください」と言いました。職人が答えました。

「とんでもない、あなたにできるものですか。」

「しかし、私は最善を尽くすつもりですがね。」

「あなたがどんなに最善を尽くしても、このお客様に満足していただくことはできませんよ。」

伝道師はカミソリを置いて、そこを離れながら言いました。

「あなたの最善も、神にとっては不十分です。」

救いとは、神の最善を受けることで、あなたの薄汚れたぼろをささげることではないのです。

ーM.R.デハーンー

 

私たちは神様の最善を受け取っているだろうか?

自分がこれでいい、と思っていることが十分、と言えるだろうか?

私たちはもっともっと神様の最善がなることを祈り願おう。聞き、これを受け取ろう。

そして神様に私たちを本来神様がイメージしている最高の姿に日々つくりかえていただこうではありませんか。