「絶対」はあるのか?ないのか? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

よく世の中を見ていると、こうすれば絶対成功する、とか、幸せになれる、とか目にします。でも、仕事もそう、この時代になって実感するでしょう。ずっと成功し続ける仕事はありません。時が来れば廃れる。

 

これに振り回されていると本当に人は疲れる。

成功論とか色々読んで、自分に当てはめて、でもある時になるとうまくいかなくなる。

 

じゃあ聖書を読むクリスチャンに絶対はあるのか?

面白いと言うか残念な話があります。

ある国のクリスチャンの人が、信仰があれば水の上も歩いて渡れる(聖書の箇所を見て)、じゃあやってみよう、と何人かで手をつないで水の上を渡っていった…

結果どうなったか?

溺死。

神様の愛も絶対じゃない?違う、彼らは神様を試み、試した。

 

むしろ奇跡の主権者は神様。

 

聖書にこんな言葉があります。

「するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」

マルコによる福音書9:23

 

「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」

ピリピ人への手紙4:13

 

そうなんです、神様がしてくださる。

自分が絶対何かを成功させるのではなく、神様の御心は絶対になる。

御子イエス様をあなたの身代りに十字架にかけて死なせてまであなたを愛された方がなされる御心はどんなときでも素晴らしい。

 

この世には絶対はないけど、神様には絶対がある。

最近の混沌とした時代を見ながら、見るべきは神様なんだ、ということを改めて思わされ、ちょっとコラム的に書きました。