ー救いの日ー | 子育て休職中牧師の聖書のおはなし

子育て休職中牧師の聖書のおはなし

東京で牧師をしておりましたが、子育てのため一時的に北海道に移住しました。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られた神様からのラブレター・聖書から少しずつ分かち合わせていただきますね(*^_^*)

「ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツァで王となった。そのとき、民はペリシテ人のギベトンに対して陣を敷いていた。陣を敷いていたこの民は、『ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した』と言うことを聞いた。すると、全イスラエルがその日、その陣営で将軍オムリをイスラエルの王とした。オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿に入り、みずから王宮に火を放って死んだ。これは、彼が罪を犯して主の目の前に悪を行ない、ヤロブアムの道に歩んだその罪のためであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のためであった。…当時、イスラエルの民は二派に分裂していた。民の半分はギナテの子ティブニに従って彼を王にしようとし、あとの半分はオムリに従った。オムリに従った民は、ギナテの子ティブニに従った民より強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王となった。ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァで王であった。彼は銀二タラントでシェメルからサマリヤの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリヤと名づけた。オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした。彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。…オムリは彼の先祖たちとともに眠り、サマリヤに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。」

Ⅰ列王記16章15-34節

 

私たちは神様を、何かあったときだけ救ってくれる、と誤解しやすい。でもそうじゃない。神様はいつでもその御手を伸ばされている。あなたのうちにその御心を注ごうとされている。私たちは世の状況を見て諦めやすい。でもそうじゃない、神様を信じることを諦めてはいけない。神様は御子イエス様のいのちをあなたの身代りに与えるほどに愛されているのだから。

 

さて、↑は古代イスラエル王国が分裂し混迷を喫していた時代、北イスラエル王国の様子を現したものです。北イスラエル王国初代王ヤロブアムが神様から民を引き離した。南ユダに民が行くのを恐れ、偶像を拝ませていた。事もあろうに、400年近くエジプトの奴隷であった時神様に救われたのに、その当時のエジプトの進行する神の一つ、金の子牛を拝ませるのです。これによって北イスラエルは堕落の一途をたどっていきました。

 

というのも、私たちは神様によって造られ、神様の注がれる一つ一つの恵みにあって生かされる。昨日も書きましたが、私たちは何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく。ならその間与えられているのは全て神様が私たちを愛するがゆえに与えられている恵み。私たちが当たり前と思ったり、不平不満を言いますが、神様はいつも私たちに必要なものを備えてくださっているのです。それなのに、そんなものはいらない、と離れ、さらにはバシャの時代には南ユダへの道を封鎖した。完全なる決別宣言。そうして堕落していった。

 

ヤロブアムの後2年、ナダブが治め、これをバシャが今度はうち、24年間治める。更に彼をエラが討ち2年治める。そして↑、このエラをジムリが討つもなんと、7日しかもたなかった。前の王朝を打倒し、根絶やしにしても、その上に自分勝手な王国を立てれば恨み、反感を買うのは必然。私たちは今この時代にあって何をし、何を縦上げる、というよりも建てあげていただくか、神様に。私たちは真剣に祈りたいものです。

 

で、そのジムリをオムリが討ち12年治め、その子アハブが王を継ぎます。はっきり言えば最悪の王です。彼は外国からイゼベルという妻を迎えるのですが、彼女が持ち込んだバアル宗教(子どもをひの中にくぐらせたり、神殿娼婦を強要したり)、祈りが聞かれなければ自分を傷つけ狂気の乱舞を踊る、それを共用する恐怖政治が始まる。

 

それにしても南ユダ王国、これがすごいのは、そんな混沌としていた北イスラエルに影響をアサ王は受けることなく41年の内35年守り通した。ところが、アサ王は36年目に、北のアラムの王、ベン・ハダデに賄賂を贈り、事もあろうに、もとは同族であるはずの北イスラエルを責めさせるのです。しかし、その間に立ち守っていた神様に信頼せず、アラムに頼ったことを予見者ハナニに責められ、彼に足かせをする。でも神様の計画は誰求めることはできず、かえって彼の足は悪くなっていった。

 

ハナニは神様から預かったこの言葉を預言した。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」と。たちは神様を侮っていないだろうか。神様はその御目を注ぎ、あまねく全治を見渡し、あなたのことを心配され、守られようとしている。それなのになぜ私たちはこの神様から離れるのですか。35年間、どんな事があっても北に染められなかったように、むしろ私たちは神様に染められる、神様の御心にあって生かされていきたいものです。

 

神様は私たちを救われる。天国に行って、だけではなく、それこそ本当にあまねく全治を見渡し、その御力を現される。この最悪の時代が始まるアハブの時代にエリヤという預言者を遣わし、民を何とか神様に立ち返るように導かれる。神様は放って置かれていない、あるときしか助けないのではなく、神様の心はいつでも私たちに注がれている。だからこそ私たちもまたこの神様に心をいつも向けるべきではないでしょうか。

 

やがてエリヤではなく本物の救い主イエス様が誕生された、それが今から約2000年前。ただ奇跡を行われるだけではなく、私たちの本物の救いとなられた。ただ一時的に助けられたりだけでは、ほんとうの意味では救われないし、当時の北イスラエルや、途中から態度を翻したアサ王と変わらない。しかし、神様は私達をまるごと愛し、救うため、御子イエス様に私達の罪を身代りに背負わせ、十字架にかけて、死なせたのです。そして3日めによみがえられることによって、このイエス様の十字架の前に悔い改め立ち返るすべての人の罪を赦し、神様のことしてくださる、その特権をお与えになられるのです。

 

私たちは信じて終わり、後は好きに生きます、じゃない。むしろここから永遠の命、天国への旅が始まる。そしてやがて涙も全て拭い去られる完全な新天新地が完成する。イエス様がやってこられ、全てに勝利をおさめられる。私達はその途上にあり、またその前味を神様のことしての特権を味わわせていただけるのです。どんな時にあっても。だからこそ、私たちは一切の主にと纏わりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を、忍耐を持って走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さないで、この方の与える、命がけの愛に、御心に生かされ。あなたの一歩一歩は、救い主イエス様が世の終わりまでどんな時であれ、導かれるから。