-感謝に始まり、感謝に終わり、また感謝へ向かう- | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。主の主であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。ただひとり、大いなる不思議を行なわれる方に。その恵みはとこしえまで。英知をもって天を造られた方に。その恵みはとこしえまで。地を水の上に敷かれた方に。その恵みはとこしえまで。大いなる光を造られた方に。その恵みはとこしえまで。昼を治める太陽を造られた方に。その恵みはとこしえまで。夜を治める月と星を造られた方に。その恵みはとこしえまで。エジプトの初子を打たれた方に。その恵みはとこしえまで。主はイスラエルをエジプトの真ん中から連れ出された。その恵みはとこしえまで。力強い手と差し伸ばされた腕をもって。その恵みはとこしえまで。葦の海を二つに分けられた方に。その恵みはとこしえまで。主はイスラエルにその中を通らせられた。その恵みはとこしえまで。パロとその軍勢を葦の海に投げ込まれた。その恵みはとこしえまで。荒野で御民を導かれた方に。その恵みはとこしえまで。大いなる王たちを打たれた方に。その恵みはとこしえまで。主は力ある王たちを、殺された。その恵みはとこしえまで。エモリ人の王シホンを殺された。その恵みはとこしえまで。バシャンの王オグを殺された。その恵みはとこしえまで。主は彼らの地を、相続の地として与えられた。その恵みはとこしえまで。主のしもべイスラエルに相続の地として。その恵みはとこしえまで。主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。主は私たちを敵から救い出された。その恵みはとこしえまで。主はすべての肉なる者に食物を与えられる。その恵みはとこしえまで。天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」

詩篇136篇1-26節

 

今日は大晦日。私は仕事納めで、最後に皆さんに挨拶して回る時、「本年はとてもお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。良いお年を」と言って回りましたが。これを思ったときに私たちは、神様にお世話になりっぱなし、それは今年だけではなく、また来年も良いお年を迎え、導いて下さる。だからこそ、私たちはこの神様に感謝の心を忘れず2021年も歩み続けよう。

 

という事で、↑はある詩人がうたった詩。たぶんバビロン捕囚後、解放された学者エズラがうたったものと思われる。今年、私たちは今まで当たり前だと思っていたことが全部ひっくり返るような一年となりましたね。私個人も多くの戦いがありました。特に心臓に関しては、病院に毎月のように通うようになりました。でもそれでも、こんな暗闇の中、神様は私の心臓を動かし、また導かれていることを思います。

 

話を戻して↑の詩編は、「その恵みはとこしえまで」という部分が一行ずらされて、一言一言に書かれている(聖書では)。最後にまとめて、「その恵みはとこしえまで」とか「だから感謝せよ」じゃなくて、この詩人はどんな時にあっても、良い時も悪いと感じるときも、「その恵みはとこしえまで」と歌います。

 

私の友人がくれた板に書かれた言葉で、翻訳すると、「信仰は、神様ならできると信じることではなく、神様なら成し遂げられると信じることである」とあります。今、この瞬間に答えが出ないから、神様できないんじゃない、できるできない、ではなく、どんな苦難の中にあっても神様が成し遂げて下さる、最高の、ベストをあなたのうちに、そう信じる事。自分望むことを神様ができる出来ない、してくれるしてくれない、ではない、神様があなたの内に最高を、willという言葉を使われていたのですが、神様のご意思によって、あなたの意志を超えた最高の御心を成し遂げて下さるのです。

 

神様は、↑の詩を見ると、イスラエルの歴史の中をたどりながら恵みをなしてくださった、と感謝を歌います。天地創造、すばらしい、これらすべては神様からの恵み。それは太陽も含めて、私たちの内に神様が造られたものを通して私たちをどんな時にでも照らし、輝かせてくださっている。太陽、月、星、これらは神様の恵みの約束の一部なのです。神様の恵みゆえにその天体が造られた。夜空を見上げ見える月、星々。

 

今日、ふと空を見上げたら、本当にきれいな満月が見えた。普通に考えれば、電池でもない限り、造られた者は動き続けることができない。休むことなく。ビッグバーンによって宇宙ができた、と信じる人たちもちょっと考えてほしい。それが仮に正しいとして、そんな何億年も、神様はこの世界を照らされる。なんと素晴らしい。ああ、ちなみに、ビッグバーンは、小学校の理科の知識がちょっとあれば(低学年レベル)それはありえないことはわかるのですが。

 

神様が天地を造られた。それでも6000年以上前、それでもそれだけ、神様は民が気に食わないから、と言ってその天体の働きを止めることはなかった。もし止めていたら、この地球がどうなるかわかるでしょう?あっという間に滅びますよ。でも神様はその恵みの御手を止めることはなかった。愛を止めることはなかった。

 

じゃあ私たちが苦難の中にある時はどうなんだ?と突っ込みたい人もいるでしょう。このコロナ下で感じる人も多いのではないか。いいんです人間弱いのですから。しかし神様は、エジプトでイスラエルが奴隷としてとらえられていた時、神様は彼らを見捨てられなかった。彼らのためにリーダーを立て、民が神様に逆らおうとも荒野に見捨てることもなく、神様は彼らを父と蜜の流れる地、かつて先祖に約束された地へ連れ帰るという約束を反故にされることなく、導かれた。

 

もちろんその旅路は平たんではなかったけど、必要な水、食料、安全を与え、それに加え、彼らに立ちはだかる王たち、巨人たちをも退け、勝利させてくださった。その後王国立国からしばらくして、イスラエルは捕囚にあう。しかし70年たった後、これまた約束通りイスラエルの地に連れ帰ってくださった。ローマ帝国に捕囚されても、神様の約束通り、70年以上前に帰還させ、また国を建て上げて下さった。

 

「その恵みはとこしえまで」と↑で、しつこいくらい詠われている。いいんです、しつこくて。私たちは神様にしつこく願い、祈り、求めようではありませんか。神様の恵みは、私たちが暗闇の中を歩んでいるように見える中にあってもその恵みを貫き通してくださる。ある一時だけではなくとこしえなのです。

 

だって考えてみてください。エズラは捕囚から解放された、その恵みに感謝するだけでもいいはず。それを歌にすればいいじゃないか。でもそれをせずに、むしろ神様の恵みは「とこしえ」、捕囚中、捕囚前、この天地創造から続いているんだ。神様の愛は尽きることはないのです。

 

神様は、最初にも書きましたが、私たちの知らない中にあっても私たちを世話し続け、またその恵みは来年も、いやすぐこの瞬間、1秒後、明日も、世の終わりまでとこしえに続く。そうさせるために神様は御子イエス様を人として生まれさせて下さった。私たちの内にとこしえの愛を、御心を、御力を現し、導くため。その恵みはとこしえ、世の終わりまであなたの内に現すために。その中でイエス様は多くの奇跡や御心、時には道を示し、悔い改めに導かれた。罪人と明らかにわかる人や死刑囚さえ。

 

でもそれだけじゃない、イエス様は私たちの罪を身代わりに背負われ、私たちの身代わりに罰せられ、死なれたのです。しかし3日目によみがえられたことによって、イエス様の十字架の前に悔い改め立ち返る全ての人を神様の子として迎えて下さる、家族として迎えて下さる。その関係は十字架に現されたイエス様の命、愛によって結ばれる。これを誰も、何も引き離す事は出来ない。復活のイエス様があなたの内に住まわれ、聖霊様があなたの内に豊かに働かれる。

 

今年、様々なことがあったかもしれない。でも、最後、感謝をもって、来年を迎えよう。あなたの2021年が、神様の恵みが刺し貫かれ、導かれ、神様の栄光を仰ぎ見、また体験する一年となりますように。