ザルで水をくめる?でもそこにあるのは | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

聖書を読み始めたばかりの頃は、結構わからないことだらけで、いくら読んでも、 ちっとも自分の実になっていないんじゃないかと思えることもあったりしますね。そんなふうに感じたことのある方に、ちょっといいお話…。

 

ある所にお父さんと小さな息子がいた。息子は汚れたザルを持っていた。ある時お父さんは息子を川へ連れていき、「その汚れたザルで水を汲んでごらん」と言った。息子は何度も何度もそのザルで水を汲み上げようとするのだが、穴があいているのでどうしても水は汲めない。息子は父に言った。『お父さん、ダメだよ、水なんか全然汲めないよ!こんなこと、いくらやっても無駄だよ。』 すると父は答えた。『そうかい? でもそのザルをよく見てごらん。何か気がついたことがあるだろう?』
 

息子は、しばらくザルを見つめていたが、やがてハッと目を輝かせて言った。
『わかった、お父さん! ザルがきれいになったよ!』

 

いくら聖書を読んだって、わからないことだらけで、ちっとも実にならないから無駄だ、ということはないんですね。たとえ最初ははっきりとした理解につながらなくても、読み続けていくことで、私たちの霊の目が開かれ、魂がきよめられていくものなのだと思います。
 

私たちもあきらめないで聖書に親しみ続けましょう!