―閉ざされた口、閉ざすことのできない口― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。―彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。―彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。…このことを聞いて、王は非常に憂え、ダニエルを救おうと決心し、日暮れまで彼を助けようと努めた。…そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。『あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。』一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠けも催さなかった。王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。『生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。』すると、ダニエルは王に答えた。『王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。』そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。王が命じたので、ダニエルを訴えた者たちは、その妻子とともに捕らえられ、獅子の穴に投げ込まれた。彼らが穴の底に落ちないうちに、獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまった。そのとき、ダリヨス王は、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに次のように書き送った。『あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された。』このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた。」

ダニエル書6章10-28節

 

私たちが生きている限り、様々なものが私たちに口を開け、飲み込もうとする。精神的に、また心を、魂まで。しかし、これらは神様の前で、この神様により頼むものに対して口を開け続けることはできず、閉ざされる。そして私たちはこの神様への感謝が絶えない、その口は閉ざされることはない、そのような栄光を見る。私たちは常にこの神様を見上げ、またより頼み、歩もう。

 

さて、↑は紀元前、イスラエルがバビロンに捕囚されて後、BC533年、その最後の王ペルシャツァルが暗殺され、メディやによって分割されて後。イスラエルは相変わらずとらえの身となっていた。そん中、ダリヨスの治世、どうもダリヨスは神様の恵みを見聞きし、この神様がダニエルを通して働かれる姿に、神様を求めていたのではないか、と思えるふちがありますね。

 

しかし、このダニエルが成功し、徴用され知恵るのを見たほかの太守や大臣たちは彼を失脚させるため、ある日、30日間王以外を拝してはならない、と法令を作り、王もこれにサインしました。しかも破れば獅子たちのいる穴に投げ込まれる、と。当時のこの地域の法令で、王がサインしたことは王自身も必ず守らなければならない。まあある意味で真っ当と言えば真っ当ですが。作った法律に王も、例外なく従うというのは。

 

そもそもダニエルの内には何の罪も見出せなかった。だから太守たちは彼をこうしてはめるしかなかった。神様の霊が彼の内に留まっていた、と昨日ありましたが、まさに聖霊様が働かれるところには、世は何するものぞ、その働きは非の打ち所がない、だからこそ、ダニエル自身、この神様に信頼し、この神様に「いつものように祈り、今日も御心がなることを」、その条例を「知っていたにも関わらず」祈っていた。

 

彼を妬む者たちは今こそチャンスと言わんばかりに王に告げ口をし、王は都もダニエルを惜しむも、自ら法律を犯すことはできず、彼を獅子の穴に投げ入れることを命じたのでした。しかし、ダリヨス王は「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように」とダニエルを励ました、いや彼は「一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠けも催さなかった」。ただただ神様に彼を救ってほしい、と祈り願ったのです。

 

朝日が昇ったとき、ダリヨスは急いで駆け付けます。ダニエルは、ダニエルは、助かっただろうか?「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか」と、自らの立場も顧みず、下手をすれば王が法律を破った、と言われても仕方ない中で、ダニエルの救いを信じて声をかけた。するとどうだっただろう?ダニエルは何一つ傷つくことなく、服も汚れていなかった。神様が御使いを送り、その口をふさいだのです。

 

もしかしたら受肉前のイエス様が来られてふさいだのかもしれない。でも確かに言えることは、神様に信頼する者の魂を、心を、信仰を飲み込み殺すことは決してできない。確かに世にあっては艱難はいくらでもある。しかし、そのような獅子の吠えたけるような中に投げ込まれるようなこともある。

 

しかし、私たちは決して神様の御前に口を閉ざしてはいけない。ダニエルは事が起こる前から、いつものように祈った。神様はいつものように彼に、私たちに御目を注がれておられるのです。あなたがいつも仕えている神様、私たちは日々神様につながり養われる、その中にあって私たちはこの獅子の穴の中にあっても勇敢に立ち上がることができる。神様の御業がなることを信じるのです。

 

どんなことがあっても、私たちの神様に対する信頼の言葉、祈りは口を何物も閉ざすことはできません。私たち自身で閉ざさなければ。神様の命令は、神様の御ことばの約束は閉ざすことはできません。私たちが勝手に要らない、と拒否しなければ。その天の窓は決して閉ざすことなどできないのです。獅子もサタンも、この世も、神様の前にはもはやその口を閉ざすことしかできなくなるのです。

 

悪霊たちもイエス様を神のも子として「知っています」が、神の子として認めません。救い主と認めません。知っていると、信じる、では違う。私たちはこの獅子の穴の世の中にあってそれでも神様に信頼し、立ち上がりますか?その口を閉ざし、一時的に逃れればいい、と祈ることをやめますか?しかし、神様の御心がなることを祈る中で、私たちはダニエルに信じられない御業を体験させたように、神様は素晴らしい栄光を現されるのです。

 

私たちは神様から離れ、サタンに狙われ、罪に支配された、まさにサタン、世の中という獅子の穴の中に投げ込まれた。しかし御子イエス様は私たちの罪を身代りに背負われ十字架にかかられ死なれた。しかしイエス様は本来裁かれなければならない私たちをその死の穴から引き上げてくださった。このイエス様の御手を取るなら、私たちは命を得るのです。そしてダニエルがこの先も栄えていったように、聖霊様を通して神様は大いなることを成され、神様の御国を押し広げられていくのです。

 

ダリヨスは最後に神様を賛美した。そして、この神様の前に「震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行な」われると宣言した。私たちもこの救い主なるイエス様の前に震えおののき、この神様の永遠なる御国、主権を待ち望もう。神様の成される大いなる御業に期待して。祈り続けよう、まだ獅子の穴の中にとらわれる民のために。