―夢を見せ、語られ…柔和であろう― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。あなたがたに平安が豊かにあるように。 いと高き神が私に行なわれたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。 私、ネブカデネザルが私の家で気楽にしており、私の宮殿で栄えていたとき、私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私を脅かした。それで、私は命令を下し、バビロンの知者をことごとく私の前に連れて来させて、その夢の解き明かしをさせようとした。そこで、呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちが来たとき、私は彼らにその夢を告げたが、彼らはその解き明かしを私に知らせることができなかった。しかし最後に、ダニエルが私の前に来た。…彼には聖なる神の霊があった。…そのとき、ベルテシャツァルと呼ばれていたダニエルは、しばらくの間、驚きすくみ、おびえた。王は話しかけて言った。『ベルテシャツァル。あなたはこの夢と解き明かしを恐れることはない。』ベルテシャツァルは答えて言った。『わが主よ。どうか、この夢があなたを憎む者たちに当てはまり、その解き明かしがあなたの敵に当てはまりますように。あなたがご覧になった木、すなわち、生長して強くなり、その高さは天に届いて、地のどこからも見え、その葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があり、その下に野の獣が住み、その枝に空の鳥が宿った木、王さま、その木はあなたです。あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます。しかし王は、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来てこう言うのをご覧になりました。【この木を切り倒して滅ぼせ。ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、七つの時がその上を過ぎるまで野の獣と草を分け合うようにせよ。】…これは、いと高き方の宣言であって、わが主、王さまに起こることです。あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれます。こうして、七つの時が過ぎ、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。…それゆえ、王さま、私の勧告を快く受け入れて、正しい行ないによってあなたの罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。』」

ダニエル書4章1-27節

 

神様の霊が降る時、私たちの内に働かれるとき、不思議なことが見せられたり、また教えられ、また世の中的に厳しい中にあっても立ち上がる力もまた与えられる。いや、聖霊様があなたを支えてるのだ。だからこそ、私たちは聖霊様を通して語られることの前に、謙遜であろう。柔和であろう。そこに「神様が与える」、賜物としてのいのちの繁栄が溢れるから。

 

さて、↑は紀元前、バビロン捕囚にあったイスラエルの民が捕えられていた時代の話。今から約2千年ほど前に聖霊様が降られたわけですが、神様は突然聖霊様を遣わそう!と思ったわけではなく、それよりも前の時代にも、神様は時に応じて助け主として聖霊様を遣わされていた。捕囚地にあって、神様はダニエルの内に聖霊様が住まわれ、その御力を現されていたのでした。

 

これはすごい話ですよ?神様の愛は、一時ではない、今この瞬間もあなたに注ぎたいのです。神様の御業は、愛は、昔ばなしではありません。今もあなたに向けて注ごうとされている。この確信、ありますか?

 

話は戻して、イスラエルをとらえていた王ネブカデネザルは、聖霊様だけではなく、受肉前のイエス様が、↑に出てくるダニエルの友、シャデラク、メシャク、アベデネゴをネブカデネザル王が投げ込んだ、近づいただけで焼け死ぬような炉に投げ込んだ、その中で救いに来られた、その姿を見て、↑の様に告白するのです。

 

「いと高き神が私に行なわれたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く」と。捕囚民の神をほめたたえるなんて普通は考えられない。しかしこの神様こそ真の神様、その前に彼に魅せられた、永遠に立つ神様の王国の約束、この神様のいのちが溢れることを何より願ったのです。この主権が世々限りなく続くことを。

 

そんなある日、神様はネブカデネザルに夢を見せますが、その内容に震え上がり呪法師たちを呼び寄せます。しかし残念なことに彼は、以前ダニエルを通して神様が夢を見せてくださりダニエルが夢を解き明かしたのを忘れていた。彼に頼ることを忘れていた。

 

昨日も書きましたが、救われて終わり、何かいいことがあったら神様を忘れる、ではだめなのです。むしろ、この愛をいただいた今だからこそ、神様の御心を求めるべきだった。ダニエルをすぐに呼び寄せるべきだった。まあ、結局呼んだのですが、↑の続きで結局王は逆らい、高慢になっていく。

 

ダニエルの解き明かしによれば、神様が王を高め、支え、栄えさせてくださる、でも後に高慢になり、「人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれ」、「こうして、七つの時が過ぎ」、彼は「いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる」。本当に獣のようになってしまうのです

 

ダニエル、驚きですね。自分たちを捕囚したネブカデネザルがそんな風になるんですよ?当時最強と言われたバビロンの王がそんなみじめな姿になるなんてもってこいじゃないですか。でもダニエルは、「それゆえ、王さま、私の勧告を快く受け入れて、正しい行ないによってあなたの罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう」というのです。信じられない。でもこれが神様の愛なのです。悔い改め、神様の御ことばに、ご計画に柔和・従う、へりくだること、それこそが神様の願い。罪と聖さは同居できない。

 

ダニエルは勇気をもって立ち上がり、王に告げた。聖霊様の促しに逆らわず。聖霊様はその助けもしてくださりますね。それゆえにダニエルは最後の最後まで用いられ、また神様の愛に満ち溢れていた。

 

神様は王にその夢を見せたのは、脅かすため?いえ、悔い改めに導くため。でも、「神様の与えてくださる命の繁栄」に満ち溢れさせたいのです。もし、彼が悔い改めて、高慢の罪を除き去り、自らを神とするのではなく、最初に書き送った王の告白のように、神様の繁栄を待ち望むとき、そこに神様のあふれんばかりの憐み、御心が、御恵みが溢れるのです。

 

神様は、予め夢を見せ、また聖霊様に促されたダニエルを通してこれから何が起こるのかを見せてくださった。神様は知らせる神様だし、そのような状況にあってダニエルという助け手が与えられていた。そのダニエルの内に聖霊様が働かれ、その「賜物」としての神様の御心があらわされる。

 

ヨエルを通して、聖霊様が今から2000年ほど前に注がれる約束がされた際、こう語られていた。「その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる」。

 

これは御子イエス様が私たちの罪を身代りに背負われ十字架にかかられ死なれたことによって、獣となるべき私たちを救い出され、イエス様を信じるすべての人、呼び求めるすべての人を救われる、成就する。聖霊様は、このイエス様による和解ゆえに私たちに与えられる。