悲惨はない理由(ヘレン・ケラー) | とある働き人の聖書のお話

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東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私の辞書には悲惨という文字はありません。主にある人生に悲惨はありません。
ーヘレンケラーー

 

「私の辞書に不可能の文字はない」という言葉はとても有名ですが、同じようなことを言った有名な人が2人います。一人は言うまでもない、ナポレオン。彼はこのように言いました。
 

「不可能と言う文字は愚か者の辞書にのみ存在する」。そう、彼は高慢からそのように告白したのです。彼は最後どうなったか、大西洋の孤島、セントヘレナに幽閉され、最後はヒ素中毒で死んだそうです。

 

もう一人は、ヘレンケラー。彼女はナポレオンとは正反対で、自らの弱さを知り、しかし同様のことを言います。「十分な時間をかけ、努力を怠らなければ、望んでいることは、なんでも実現できます」と。これは主がいてくださるから、という確信のもとです。そして彼女は「私の辞書には悲惨という文字はありません」と言いました。主にある人生に悲惨はない、というのです。それは全能の神様が共にいてくださるから。小さなころ、病気で視力聴力を失い、言語にまで影響が出、3重苦で人から見たら悲惨でしかないはずの人生に対して彼女はそう思った…

 

使徒信条を含め、私たちは神様を全能の神様と信じます。では全能の神様、とは?その言葉は、ヘブル語で「エル・シャダイ」といいますが、エルは神様、シャダイはお母さんの乳房、という意味です。赤ちゃんにとっては女性の乳房は全能。赤ちゃんにとって必要なすべてがそこにあります。栄養や声、暖かい腕の感触。お母さんの胎の中でいつも聞いていたお母さんの心臓の鼓動があります。つまり全能の父なる神様のところには私たちにとって必要なすべてがそこにある、赤ちゃんのような安心感も何もかもすべてそこにあるのです。

 

だから、私たちが全能の父なる神さまにより頼みなお従うとき、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」ピリピ人への手紙4:13、そして「主に信頼する者は、失望させられることが」ありません(ローマ10:11)。

 

今日、あなたは神様から、イエス様のいのちにあって与えられた命にあって悲惨はありません、と告白できますか?