最近のコロナ状況を考えていると、神様はこんなとき何をしてくださるのだろう?何をしているんだろう?そう思っているときに↓の言葉に出会った。あるアメリカの本より。
憐れみは、死刑囚となるほどの強盗を、その十字架上で赦した。
恵みは、何と許しただけではなく、彼を天国まで「エスコート」した。
ーマックス・ルケード(牧師・兼、絵本・作家)ー
今から約2000年ほど前、起こったことを↑で彼は解説しているのですが、イエスキリスト様は、その強盗たちに、何の罪もない、神の御子であられるのに、私たちの罪を身代りに背負われ十字架にかかられた。その時、強盗たちにののしられていた。神の御子なら十字架から降りてみろ、と。でも憐れみを求めた一人の死刑囚になるほどの強盗を、赦した。でもそれだけじゃなく、「せめてわたしのこと、あなたが天国に行ったら思い出してください」と願われたイエス様は、彼と一緒に天国までエスコートした。
神様は、私たちの苦難の横にまず第1に一緒にいてくださって、その重荷を一緒に背負ってくださる。でもそこから解放し、天国まで、一緒に歩んでくださる。天国に行ってからじゃない、ここから始まる。イエス様、わたしを覚えてください、と願うなら。私たちに驚くべき何かをこの苦難を「一緒に」突き抜けた先に、その栄光を、何かを見せてくださる。
イエス様が「エスコートしてくださる」、命をあなたのためにかけたイエス様が。この意味を覚え、イエス様と一緒に歩もう。あなたは一人じゃない。