―本当に正しい同盟・助け合い― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「イスラエルの王アハブの子ヨラムの第五年に―ヨシャパテがユダの王であったが―ユダの王ヨシャパテの子ヨラムが王となった。彼は三十二歳で王となり、エルサレムで八年間、王であった。彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻であったからである。彼は主の目の前に悪を行なったが、主は、そのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、彼に約束されたからである。ヨラムの時代に、エドムがそむいて、ユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。ヨラムは、すべての戦車を率いてツァイルへ渡って行き、夜襲を試み、彼を包囲していたエドムと戦車隊長たちを打ったので、その民は自分の天幕に逃げ帰った。しかしなお、エドムはそむいて、ユダの支配から脱した。今日もそうである。リブナもまた、その時にそむこうとした。ヨラムのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。ヨラムは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともにダビデの町に葬られた。彼の子アハズヤが代わって王となった。」

Ⅱ列王記8章16-24節

 

私たちには神様がいる。でもそれだけではなく、神様は私たちの周りに兄弟姉妹だったり、友だったりがいる。家族がいる。これらが神様があなたに備えて下さっている。その中で私たちはどう生きるか?人間関係は難しい、でも私たちが神様の御心がここになることを願う時、私たちは驚くべき神様の栄光を見る。

 

さて、↑は、紀元前イスラエル王国の話。まあ王が誰の時代か、というのは↑で見てわかる通り。王国は南北に分裂、北はアラムという強国の脅威にさらされている状態でした。ちなみに、一昨日の投稿からもわかる通り、この後、アラムの王、ハザエルによって北イスラエルは壊滅的なダメージを負います。

 

その預言を知っている中で、さて彼らはどうするのか?それが実は↑の時代で問われていた。危機に直面していることは、わざわざ神様があらかじめ危機を伝えている。まあハザエルにも、極悪な王にならないようにね、それによって神様の裁きにさらされるのではなく、神様のみ旨を求め行う王であろうね、そうしたら神様の栄光が溢れる国になるから、と暗に訴えていたわけなんですけど。

 

一昨日のアラムの王への預言、私たちに神様はあらかじめ危機を知らせている、これは本当に恵みだな、と思います。そして昨日の投稿からもわかる通り、実は神様の願っていることは、私たちが神様からの断絶によって、神様のいのちを失い、サタンの手に落ちい滅びていくのではなく、生きる事、そこにあります。↑にも出てますよね、「彼は主の目の前に悪を行なったが、主は、そのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった」って。悪から立ち返って、神様のいのちを得、生きる事こそが神様の望みです。

 

神様は、私たちに生きてほしい、その御手はいつも伸ばされている。今日本、いや世界中もはやそうですが、暗闇に包まれている。これはもう誰しもが認めるところでしょう。しかし神様は、そんな中にあっても神様はその中に救いの御手を伸ばされているのです。それを信じるか、知っていても知っているだけで終わらせずにどう行動するか、これがすごく大事なのです。

 

↑に話は進めますね。そんな北イスラエルが危機にさらされているとき、兄弟国である南ユダ王国の王はアサという素晴らしい王の子、ヨシャパテが王。南北はどちらかというとあまり仲が良くなかったというか。もともと一つだった国が、北の初代王が12部族のうち10部族を引き連れて別れてしまった(原因の大半は南にあった)、それゆえにいい気はしなかった。それに時々北も南を攻めてくるし。北の評判の悪さも、南に入ってきていたし。

 

しかしそれでも、ヨシャパテは北イスラエルを見捨てず協力していたのでした。命の危険があるとわかっていても、悪王アハブと協力して戦いに出ていったり。最近も見ましたが、そのアハブの息子ヨラムにもまた協力し、戦いに出ています。アハブの時にさんざんな目にあったのに。それでも。

 

何とか和解したかったのか、北イスラエル王ヨラムと同じ名前を息子につけたり、北イスラエルの悪女と言われているイゼベルの娘(アハブとの娘)、アタルヤを息子の嫁に迎え入れ、南北融和を図ろうとしていた…と考えられる。ただ、この融和は彼らの大切なアイデンティティを失わせてしまった。妥協に妥協を重ねた融和だったため、彼らのご機嫌を窺うような形になり、結果北イスラエルの悪い部分が侵食し、神様の祝福を失わせてしまったのです。ただ、彼らの先祖のダビデゆえに、彼らが滅びることを望まず、裁きの手は免れましたが。大切なものを失ってしまった。

 

この血縁関係が、神様との関係よりも、世の富との、サタン的存在との血縁関係を結んでしまったため、この先に出てきますが、この先この子孫たちによって南ユダは北に乗っ取られそうになる。国家の危機を迎える事となるのです。

 

私たちはたぶん、ここまで壮大な話に巻き込まれることはないかもしれない。まあ世の終わりには巻き込まれる、神様につくか、サタンにつくか、という場面は必ず来る(サタンとはわからない形で)のですが。ただ、私たちはこの世の中にあって、誰につくのか、それはとても大事な話なのです。

 

確かに融和、互いに仲良くすることはとても大事、協力し合うことは大事。こんな危機的な世界的状況の中だからますますそうでしょう。ただ、その中で私たちは大切なものを奪われてはいけない、大事なアイデンティティを失ってはいけない。こんな時、私たちの心は不安に支配される。その気持ちはわかる。でも、こんな状況だから神様神様言っている場合じゃない、とか、周りがそうしているから私も買い占めるとか、あれこれやっている場合じゃない。

 

コロナ以外でも、あいつがああしているから悪いんだ、と相手の土台に乗って神様の助けを求めず、復讐の思いや相手を愛する事よりも裁くことに進んではいけない。むしろ、こんな時だからこそ、自己中心になるのではなく、神様の愛をもって愛する、仕える事、それこそが大事なのではないか、と思う。外出できないなら、励ましの言葉を送ることだってできるし、礼拝が奉げられる状況に困難が出てるなら、祈ることだってできる。私たちの心を、神様がいたって無理!という不信仰な思いと血縁関係というか、手を結んではいけない。

 

むしろ神様は、私たちと手を結ぶため、血縁関係を結ぶため、本来ありえない、罪びとである私たちと和解し、融和するため、御子イエス様を遣わし、その愛を現され続けた。でもただ奇跡を行うだけの薄っぺらい関係ではなく、私たちの罪を赦し神様の家族に迎え入れるため、御子イエス様に私たちの罪の代価を身代りに背負わせ支払わせ、十字架上で罰し、死なせたのです。とんでもない話です。ヨシャパテがアハブ王家と血縁関係・同盟関係を結ぶどころの騒ぎではない。

 

しかし神様はこの御子イエス様のいのちにあって、私たちと和解を果たされた。3日目によみがえられ、私たちがイエス様の前に悔い改めるなら、私たちはこのイエス様の血縁関係につなげられ、神様の子とされる。神様は、私たちが滅びることがないよう、予めこの愛を示され、血縁関係、命懸けの愛の関係の中に招いてくださったのです。私たちは今このイエス様のいのちにあって生かされている。ならどうしてこの時代にあっても神様に頼らずにいられるだろう?

 

恐れに、サタンに、疑いによってあなたの心を支配させてはいけない。そんなものと同盟関係を結んではいけない。これらを締め出し、むしろこの神様の愛があなたの内に、あなたの今いる時代、場所にあらわされること、御心がなることを祈り求めよう。恐れず踏み出し、神様の愛をもって仕えよう。あなたの名は、神様の書物に記され、今日も覚えられ、神様の歴史、御業をあなたの内に、あなたの周りにも今日もあらわされるから。