祈って良い。実現するのは | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちはどうせ祈ったって変わらない、と考えやすい。また祈る、ということを宗教行為みたいに考えていますが、これは私たちにとってとても素晴らしい、神様から頂いているプレゼントなのです。宗教行為という努力の結果によって、祈りが実現するのではなく、その祈りの中で神様は語られ、また力づけられ、また導かれ、答えてくださる。

 

イエス様はいつでも祈ることを教え、パウロという初代教会の中心にいた一人も、いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝するように、と教えました。祈るように、ということは祈りを聴き答える方がいる、ということです。

 

ある本でこんなことが書かれていました。「神に委ねる」とは、祈ることを意味します。残念なことに、私たちはしばしば自分の力で物事を解決したいと願い、祈ることを後回しにしてしまいます。ある教会の執事が牧師のところにやって来ていったそうです。「大変です。状況が全くよくなりません。もう私たちの力ではどうすることもでいません」。牧師が答えて言いました。「そうですか…。私たちにできることと言ったら祈ることだけのようですね」。すると執事は応えたそうです。「もうその手しか残されていないのですか…」。

祈ることは最終手段ではない。神様が私たちの祈りを聞かれている、それを最後の手段と思ってはいけない、いつでも最初に私たちがとるべき行動です。祈って良い、聞いてくださる神様がいる。あなたは一人ではない、神様の御心を求めよう。あなたの祈りは、御子イエス様のいのちにあって神様につなげられ、聞かれるのだから、その御心があなたにあらわされるのだから、大いに期待しよう。

 

朝の投稿で(2つ↓の投稿)、日本のために祈ろう、と書きました。Pray For Japanと。祈るのは希望的観測ではない、神様の御心がなることを願い、ならないわけがない。どうせ祈ったって何にもならない、なんて考えてはいけない。それを実現するのは、私たちではなく神様なのだから、神様に期待しよう。