―賢者の行く先は/クリスマスの翌日― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。彼らは王に言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。【ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。】』そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。『行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。』彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。『立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。』そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』と言われた事が成就するためであった。その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。」

マタイによる福音2章1-16節

 

日本ではクリスマスも盛り上がる。でも、その翌日からは新年、大みそか、初もうでと、新しい神?的なものを求める。ああ忙しい。クリスマスに来られたイエス様はそんなレベルなのか?むしろこのイエス様が全てのとなられるためにクリスマスに来られた。私たちはクリスマスの次の日、どのように歩むだろうか。

 

という事でクリスマス。今から2000年ほど前、神の御子イエス様が人となってお生まれになられました。神の御子だから王宮で生まれたのかと思ったら、貧しい大工と少女の夫婦の家。しかも、暗い洞窟、動物たちのにおいと鳴き声の漂う場所。そのベッドは硬い石でできた動物たちのエサ入れ。しかし、それでも昨日書きましたが、御子イエス様は、どこか遠い手の届かない場所ではなく、最も身近な場所まで降りてこられたのでした。そんなイエス様を一番最初に礼拝したのは、社会からつまはじきにされていた羊飼いたちだった。

 

と、それから数か月…もう一組のお客がイエス様を訪れた。劇などでは羊飼いたちと一緒にイエス様とお会いしますが、彼らは数か月から1年単位?それくらい先になります。クリスマスから。それが↑。東方の博士たちと呼ばれる人たち。アルタバンとも言われるかな?彼らは遠くバビロニアの方からイエス様を尋ねてきた。彼らは非常に高い地位を持っていた、わざわざ数か月をかけてイエス様を捜し出したのでした。

 

彼らはイスラエルをとらえていたバビロン。そんな彼らがイエス様を求めている。救い主を求めている。神を求めている。真の心理、いのちを、救いを。信じられない。でもそんな彼らを神様はちゃんと導いておられた。自分の進むべき道、いのちの道を捜し求める、救いを求める、真の王を求めていた、そんな博士たちを神様はその印となる星を持って導いてこられたのです。イエス様の元に。そして長い長い旅を終え、彼らはイエス様と出会った。

 

イエス様…この当時、↑でヘロデが取った愚行から逆算してもよくて2歳くらい、でした当時。うちの子くらいか。博士たちが見たのは「幼子」。普通2歳の子を見て救い主と誰が思うだろう?しかし、博士たちはこのイエス様の内に神様の栄光を見た。どう説明したらいいかわからない、でも博士たちはこのイエス様こそ救い主、と彼らが最も大事にしていた宝物を、これこそ受け取るにふさわしい方、と差し出した。もし違ったら、この子に私の大切なものなど差し出せない、となるでしょう。そして彼らはイエス様の前にひれ伏し礼拝した。こんな子が何ができる、とあきれ返るのではなく。

 

でも、この彼らの行動はここで終わらなかった。ここに来る前にあった国主ヘロデ、彼らからイエス様の居場所を見つけたら教えてほしい、礼拝したいから、と言われていたが、彼に知らせたら間違いなくイエス様を殺しに来る、そんなことをさせるわけにはいかない、と知らせずに命を狙われるのを覚悟の上でヘロデの元から離れた道を通りかえって行くのでした。彼らは御使いの語った事を受け入れた。

 

博士たち、東方の3賢者と言われていますが(実際は3人ではない)、本当に賢い者たちはその行くべき道を知っているのです。神様という存在を知った。でもこの神様の導かれるいのちの道を進まなければ何の意味もない。クリスマスが大事なんじゃない、その翌日、そこからが大事なんです。昨日分かち合った羊飼いたちは喜びうたいながら帰って行った。

 

序論でも書きましたが、日本ではクリスマスの後は大みそかに初もうで、と忙しないクリスマスでそこそこイエス様という存在を知る機会はあった、でも。どうしてか?本当の希望を知らないからです。神を神とみていない、ないし本当の神様に出会っていない。かの東方の博士たちが周りにある金、地位、名誉、偶像の神々、そこに救いを見いだせなかったように。でも、神様はその私たちのために、東方の博士たちのその星を見せたように、真の希望の星、救いの印、あなたの上に輝く道となるため、御子イエス様を生まれさせてくださったのです。

 

イエス様は一時的な旅行で来られた、1日○○のような1日だけ人間になったわけでもない。あなたの内に住まい、あなたと一緒に重荷、くびきを負って歩むため、あなたを癒すため、あなたに平安を、いのちを、救いを与えるために歩まれるのです。

 

そのイエス様の愛は半端ない。こんなバビロンから来た者たちを受け入れたように、罪人である私たちを招かれ、すぐに神様を捨てて偶像だの初詣など、他の神々を求めるような私たち、神様を信じていながら従えず彷徨う私たち、この罪を身代りに背負われ十字架に架かられ死なれたのです。ただ道楽できたのではない、あなたを救うため、あなたの身代わりとなるため来られた。あなたを死から救い出すため、罪の奴隷から神様の子とするため、神様と和解させるため。そこまでされたイエス様が、3日目によみがえられたイエス様が、東方の博士のごとくイエス様を求め、救い主として信じ受け入れるすべての人のうちに住まい、導かれる。かの星どころじゃない、これほどの愛を持ったイエス様ご自身があなたの内に星となって輝き、あなたの人生を神様の御心の場所へ。いのちの道へと日々日々導かれる。

 

その旅路は長くつらい日もあるかもしれない。でもあなたとイエス様は一緒に歩まれる。もう、私たちは他の救い主を捜しに出る必要はない。そのイエス様があなたと一緒に歩まれるから。ここに全部ある。本当にかしこい人はイエス様の内に全てがある事を信じる。あなたは?