「次のような主のことばが私にあった。『エレミヤ。あなたは何を見ているのか。』そこで私は言った。『アーモンドの枝を見ています。』すると主は私に仰せられた。『よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。』再び、私に次のような主のことばがあった。『何を見ているのか。』そこで私は言った。『煮え立っているかまを見ています。それは北のほうからこちらに傾いています。』すると主は私に仰せられた。『わざわいが、北からこの地の全住民の上に、降りかかる。今、わたしは北のすべての王国の民に呼びかけているからだ。―主の御告げ―彼らは来て、エルサレムの門の入口と、周囲のすべての城壁と、ユダのすべての町に向かって、それぞれの王座を設ける。しかし、わたしは、彼らのすべての悪にさばきを下す。彼らはわたしを捨てて、ほかの神々にいけにえをささげ、自分の手で造った物を拝んだからだ。さあ、あなたは腰に帯を締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く。見よ。わたしはきょう、あなたを、全国に、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、この国の人々に対して、城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした。だから、彼らがあなたと戦っても、あなたには勝てない。わたしがあなたとともにいて、―主の御告げ―あなたを救い出すからだ。』」
エレミヤ書1章11-19節
神様は、私たちが生まれる前から私たちに計画を持っておられ、その手で造られ、今日に至るまであなたを愛そうとその御手を伸ばされ続けている。でも、それは決して表面上だけ、口先だけのものではない、具体的にその愛を見せ、また語られ導かれる神様なのです。私たちはもっと神様の愛に信頼してみようではありませんか。神様の愛はいのちがけなのだから。
さて、↑は昨日の続きになります。神様が、神様を捨てその恵みはいらないと拒否し、周辺国に苦しめられ、あらゆる意味で希望を失ってしまっているイスラエルの民にその愛を、計画を示すべく、エレミヤという預言者を召しだされたときの言葉が↑。
その直前にはこのようにありましたね。「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。…まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。―主の御告げ―」と。
このエレミヤという人の働きはある意味では特別なのですが、しかしエレミヤが特別だからこうして選ばれた、というわけではない。神様は一人ひとりを見ておられ知っておられる。コピーペーストのように造ったのではない、神様は一人一人のことを考え、一人一人に愛情を、御心を注がれ、その愛を現されるのです
神様は生まれる前からあなたを考え、知っておられ、生まれた後もまたあなたのことを知っておられる。でもただなんとなく、ああ○○さんね~知ってる知ってる~レベルではない。神様は、確かに神様が遣わされたあなたのいのち、この人生の中にともに進み行かれ、あなたが必要なところに応じて語られる、ないしその道からを、栄光を現してくださる、救い出される、だから恐れるな、というのです。
知ってます?あなたが生まれる前から神様はあなたを知っておられる、でもあなたを作られ、あなたに命を賜ったのはほかでもない、神様なんですよ?神様が、あなたをこの命、生涯のうちに遣わされた。遣わした神様ご自身もまたともにいき導いてくださる。私、1年間派遣の仕事をしていたことがあるのですが、派遣もとの人はいつも体調のことを心配したり、仕事の様子を気にかけてくれていました。まあ、もちろん彼らは仕事だから、というのもあるでしょうが。しかし神様は損得勘定であなたを心配するわけではない、遣わされた、あなたにはあなたの保護者となってくださっているのです。
なんとすばらしい話だろう。でもこれが神様の思いなのです。私たちは自分自身の力で生きていると考える。でもあなたを愛し作られた、あなたに命を賜った神様が実はあなたのうちに愛を注ぎ、道からを、御心を現したいとあなたのうちにその御手を伸ばされているんですよ?
でも、それだけではない。神様はご自身の思いや計画を私たちに示してくださり見せてくださる、神様の愛を、神様の働きをときに不安になる私たちのために見せてくださることがあるのです。神様は口先だけで語るのではなく、具体的にその愛を見せてくださる。
時にはそれはつらい現実のような場合もあります。↑のエレミヤへの神様の幻を考えたら明らかにそうでしょう。神様はアーモンドを見せ、「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ」とおっしゃられた。神様がその目を行き届かせてくださっている。それはまさにあなたに襲い来る者から守られる見張っておられる、あなたが苦しむことがあってもその目はあなたのほうを向いて導こうとしている、そのことを私たちは知ることができるのではないでしょうか。
2つ目に見せた幻ではイスラエルがバビロン捕囚されていくという現実を見せます。すごくつらい現実を見る。でも、先にこのことを示されたのは彼らに救いの道、悔い改めに道を神様が示された、あなたを生まれる前から今にいたるまで知っておられる神様があなたが苦しみ命を失っていくことが我慢できない、だから頼むから帰ってきてくれ、その訴えをあなたは感じないだろうか?
神様は、エレミヤをイスラエルの民の「城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁」としたといいますが、まず神様ご自身がエレミヤの「城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁」となられた、だからこそ彼は敵にどんなに襲われようとも打ち砕かれることはない、神様にある喜びも命も何者も彼から奪い、打ち倒すことができないのです。だから、あなたのうちから神様を取り除くことがないよう訴えるのです。神様から与えられたこの命を何者にも打ち砕かせてはいけない、わたしがあなたとともにいるのだから、わたしから離れてはいけない、わたしの愛から、わたしの命の道からそれてはいけない、そう訴えるわけです。そのために幻だけではなくこれから神様はエレミヤに実際に、具体的にその御技を見せ、体験させていってくださった。
神様はこの愛を御子イエス様にあって現された。私たちに。目に見える形で。どれだけわたしたちを愛しているのかを具体的に見せるため、↑でただ鎮座しているだけではなく人となって生まれてこられ、同じ苦しみ、重荷を担ってくださった。そして口だけではなく具体的に人々が失っているもの、問題、病、さまざまなものを癒し、最後は私たちの最大の問題である罪の刑罰をその身に負われ、十字架にかかられ死なれ葬られた。
でもそこで終わらず、復活とともにしに行く私たちを引き上げようとしてくださった。私はこれだけ愛している。もう死の中に、罪の中に縛られてはいけない、命を受けよ、神様の偉大なる計画、あなたが生まれる前からずっと注ごうと要してくださっているこの命を、救いを受けよ、とあなたを導かれたのです。これを受け取るか否かはあなたの決断なのですが。そして復活のイエス様があなたのうちに住まわれ、世の終わりまであなたとともにおられ導かれる。
見張る、あなたを心配される神様は、御子イエス様の命を差し出してまであなたへの愛を現され、誓われたのです。私たちを、あなたを滅びの道からいのちの道へと導かれたのです。
今日、私たちはこのイエス様の十字架に示された愛をいただこう。これは昔語られ終わった話ではない、あなたへの現実の神様の愛です。さあ、立ち上がり、この命を今日受け取ろう。そしてこの偉大なる神様のあなたへの愛を味わいながら、喜び楽しみ、歩もう。神様のすばらしいあなたへの御心を大いに堪能しながら歩もうではありませんか。主は今日もあなたにその愛を注ごうとあなたの応答を待っておられる。