イエス様が語られた 「山上の垂訓」 の逆バ-ジョン、「悪魔の垂訓」 なるものがあるそうなのでご紹介します。ポイントは、これは誰かを裁くためにというよりも、わたしと神様の関係をもう一度考えるきっかけになるかな?と。私もこれを初めて読んだときには襟元を正されました(;´・ω・)
分かりやすい1,6、8を取り上げると、礼拝や献金って決して強制されていくものでも捧げるものでもない、神様との関係において、かな?と。他の人から見て少額だからとか多額だから、ではなくて…ですよね?説教はあら捜しよりも神様からのメッセージに集中?4はまあそのままかな、ってかんじがしますが、5はたまに実は見かけます。先に解説入れちゃってすみません(;^_^A本当は解説を入れるつもりはなかったのですが(チャレンジ内容って人それぞれですし)、同時に、サタンは身近なところを狙う…御霊の武具をしっかりととり、なお祈る必要性を覚えさせられますね…
1.疲れすぎ、忙しすぎるという言い訳で教会へ行かない者は幸いである。彼らは私の最も信頼できる働き人になるであろう。
2.牧師の欠点や過ちを見て言いがかりをつける者は幸いである。彼らは説教を聴いても恵まれないであろう。
3.自分の教会でありながら頼みに頼んでこそ教会へ来る者は幸いである。彼らは教会で厄介者になるであろう。
4.人の噂話を好んで言う者は幸いである。彼らは私が喜ぶ戦いや紛争を起こすであろう。
5.ともすれば嘲り皮肉る者は幸いである。彼らは小さな事にも怒りながら、すぐ教会をやめるであろう。
6.神のみわざにいやに渋くて献金をしない者は幸いである。彼らは私の業の最もよい助け人となるであろう。
7.神を愛すると言いながら自分の隣人を憎む者は幸いである。彼らは私の永遠の友となるであろう。
8.聖書を読んだり、祈りをする時間のない者は幸いである。彼らは私のわなに容易く騙され、やがて人にからかわれるであろう。