ー神様をほめたたえよー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。」

詩篇1501-6

 

私たちはみなそれぞれの楽器を持っている。またそれぞれ遣わされている場所がある。その大能の御業はそのあなたの上にある。だから私たちはこの神様を神様としてあがめ歩もう。あなたの持つ楽器をもって。

 

さて、↑の詩は、聖書に残されている詩篇集の一番最後に載せられたものです。聖書の中には150篇の詩篇が全部である(詩篇、と呼ばれるもの以外のところにももちろんたくさんの詩があるのですが)。その作者は何人もいますが、それぞれの場面があり、それぞれの思いがあってこれらの詩を描き上げ、歌いました。それぞれのことばで、それぞれの思いを込めて。

 

そんな事を思っていた時、↑の詩篇150篇というのをもう一度詠んだとき、ずいぶんたくさんの楽器が出てくるな、と思ったわけです。角笛、十弦の琴、竪琴、タンバリン、踊り(自分自身が楽器になりますね)、緒琴、笛、鳴り響くシンバル…他の訳では鼓というものも登場します。さらにはよく見ると、それぞれの楽器の組み合わせもある。

 

私たちにはそれぞれの楽器があるのです。皆それぞれ違う。それぞれの楽器が、それぞれの人生がある。神様は、私たち一人ひとりに素晴らしいいのちを備えてくださった。

 

詩人は「御力の大空で、神をほめたたえよ。その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ」と言いますが、神様は、そんな私たち一人一人に、大能のみわざを、偉大なる何かをなしてくださるのです。神様は私たち一人一人違うようにつくられた、それぞれ愛をもって造られた、それだけではなく、その一人ひとりにそれぞれの計画をもってご自身を現してくださる。生きのある者すべてに。

 

私たちはそれぞれ置かれた場所も違うでしょう。仕事や、生きている場所、役割、様々です。また私たちの持っている楽器は違うのですから、それぞれできる事は違う。でも、神様はそのあなたの内にご自身の素晴らしい御力を現される時、私たちは素晴らしく輝くことができるのです。神様はその聖所に、私たちを招いておられる。この素晴らしい恵みの中に生きるように、と。このいのちを受けよ、と。

 

先程楽器の組み合わせについて触れましたが、私はこれは一つは自分とその役割、ないし自分と家族や友等、でもそれ以上に、神様と自分、神様と共に私たちがこの与えられたいのちを生きる時、素晴らしい音色となる、これ以上の組み合わせはない、と思うのです。もちろん、それにさらに家族や友など加わったらなおすばらしいでしょう。この神様を神様とする歩みの中に、神様の栄光が現される時、その賛美が溢れる時、あなたの内に輝く神様の栄光がさらにあふれ流れ、命の川があふれ流れるのです。

 

私たちは神様から離れた。そのいのち溢れる園が失われてしまった。私たちが神様などいなくても生きて行ける、私は私の好きなように、と離れ、私たちはいのちを損なってしまった。本来与えられているはずだったすばらしい楽器を、ハーモニーを失ってしまった。しかし、そんな私たちを神様は捨てる事をしなかった。そんなお前たちなどいらない、などとは言わずに、私たちを探しに来られた。

 

失われてしまった私たちの形をもう一度作り直すべく、私たちの支払うべき罪を御子イエス様に背負わせ身代りに罰し死なせ、なお復活させることによって、私たちの罪の刑罰を支払い済みとし、この神様の素晴らしい御力の大空、御子イエス様の十字架にあって取り戻された、和解させていただいたこのいのちの内に招かれたのです。神様の子とされたのです。私たちが悔い改め立ち返るなら。素晴らしいハーモニーは回復される。神様は音を失った楽器、罪に汚れた私たちを捨てる事よりも、御子イエス様という最高の存在を身代りにすることを選ばれた。そこまでしてでもあなたとの関係を回復させる、和解させ、本来あるべきあなたの姿、神様の子として本来の姿、御心、ご計画の内に引き戻してくださったのです。この素晴らしいいのちの聖所、神様の家族へと招かれたのです。

 

私たちは力の限り、このいのちの内を歩み続けよう。イエス様と共に、この和解された新しいいのちの内を歩み続けよう。神様は御子イエス様にあってあなたに大いなる業をなされた。これからもあなたの内に住まわれ働き続けて下さる。私たちはいのちの限り、この歌を歌い続けよう。この素晴らしいいのちを喜び歩もう。ハレルヤ。