「だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。『恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。わたしは、北に向かって「引き渡せ」と言い、南に向かって「引き止めるな」と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った』」
イザヤ書43章1-6節
神様はあなたを造られた。あなたの名前を知っている。その方があなたの名前を読んで、「愛している」と叫ばれる。口先だけではない命がけの愛を実行される方が。
さて、↑は、昨日も書きましたが紀元前。イスラエル王国が分裂していた頃の話。神様はイザヤを通して、北イスラエルが崩壊に向かっている最中、自分たちは安泰だと考えている南ユダに対して、また、北イスラエルがアッシリヤ捕囚にあった際、いよいよ南ユダに危機が訪れている際に、バビロンが起こり、危機に晒されている、そのユダの民に語りました。ともかく神様に頼るように、と。
と、今日は昨日の続きになりますが、神様がなにものなのか、自分をどう思ってくださっているのか、この事を忘れないでほしい、と今の現状の中において、これから先に起こる危機の中において忘れないで欲しい、と訴えるわけです。
昨日は、神様は彼ら一人一人の名を、私たち一人一人を造られた神様は、一人一人のことをちゃんと知っていて、生まれる前から恵みの計画を持っておられることを書きましたが、神様は、ただ私たちを知っている、というだけではありません。神様はさらに続けます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と。
神様にとっては、あなたという存在はただ知っているよ、時々気にかけているよ、程度の存在ではないというのです。それだったら、あなたを高価と何て言わない。ただ噂では知っている、どこかで会ったことがある、見たことがある程度の知っている、ではない、あなたを知っている神様はあなたを愛している。高価で尊い、と思っておられる。何と嬉しい話だろう。
その対象は一体誰ですか?あなたです。何か良いことをする前から。↑のイザヤのメッセージは、散々警告してきた。自分たちの兄弟国が苦しめられている時自分たちは安泰だ、と思っている彼らに厳しく戒め警告を与えた、そんな連中にどうして愛している、などと言えるだろうか。その彼らにむかって、「あなた」というのです。
私たちだってそう。私たち一人一人にどれだけ神様に愛される資格のある人がいるだろうか。私など正直な話、神様に愛してもらう資格などない、と断言できます。何度神様を悲しませ、何度神様を裏切ってきたことだろう。
しかし、神様はまず、その愛を示された。イスラエル民が何か良いことをしたら、しょうがない助けてやろう、とは言わなかった。あなたを造られた神様は、まあそもそも、神様が作られた、神様ブランド、それだけですごいんですよ?あなたは神様ブランド。うん、今これを書きながらその凄さを改めて思わされた。私たちは神様によって造られた神様ブランドの作品。それだけでもう、十分に価値がある。これ、誇りに思わないでどうします?
と、話は戻して、あなたを造られた神様は、造って責任放棄して投げ出す神様ではない。神様はあなたの名前を知っていて、覚えている。覚えているという事は神様の御目があなたに注がれているということ。あなたの今日という日に、明日という日に、順境の日も逆境の日も。
神様はね、私たちを愛しているんです。だから、私たちが失われゆく事が我慢できないからこそ、その御目を注がれている。愛しているから。だから、ご自身の本当の恵みの中に引き戻したい、とあなたを北から南から集められ、取り戻される。ただ、愛している、と口先だけで言わずに、行動に起こされる。あなたを愛するがゆえに、罪から、サタンの手から、裁きから取り戻すために、あなたが罪の奴隷から解放された新しいあなたとなるために、神様の子とするために、あなたのために、御子イエス様のいのちという代価を神様が支払われた。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ」と、後半で、あなたの代わりに、あなたの命の代わりにされたのは、御子イエス様のいのちです。あなたを愛するゆえにその決断をされたのです。そのいのちによって買い戻されたあなただからこそ、本当の意味で高価で尊い存在となるのです。
神様は、あなたの内に御子イエス様にあってその栄光を現してくださります。あなたへの愛はただ救って終わりではない、あなたの内に神様の本物の愛を、世の中のレベルの愛ではない、本物の愛を、御心を、栄光を現される。私たちはこの神様に応答するとき、神様の御心が存分に現されていく。
神様は、あなたを愛している、と語られます。では、わたしたちは、あなたはこの神様に何と応答しますか?私も神様を愛します、と心から告白し歩みたいものです。この神様のものとあなたはもうされたのですから。神様の愛に応答し歩みたいものです。
