(9月6日未明の北海道大震災で被災をして24)
「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。それなのに、彼らを呼べば呼ぶほど、彼らはいよいよ遠ざかり、バアルたちにいけにえをささげ、刻んだ像に香をたいた。それでも、わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。しかし、彼らはわたしがいやしたのを知らなかった。わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた。わたしは彼らにとっては、そのあごのくつこをはずす者のようになり、優しくこれに食べさせてきた。…エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか。どうしてわたしはあなたをアデマのように引き渡すことができようか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができようか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。」
ホセア書11章1-8節
神様の私たちへの思いは、湧きかえり、胸が熱くなるほど。どこかに安置されている像とか、そういう死んだ物ではない。生きた神様。その神様が私たちをなお思ってくださっている、なんと感謝な事だろう。
9月6日未明に起きた北海道大震災。1か月がもうすぐ経ち少しでも落ち着くか、と思いきや、その傷も癒えないまま大きな台風接近。それだけではなく今日の夜またしても胆振(いぶり)を中心に地震。震度4と言えど、大きな地震の後で考えるなら、これほど嫌なものはない…またか、一体どうなっているんだろう、こう、物理的にというよりも心を揺るがされる。
先程再びあった地震でそんなことを思っていると、↑の箇所を神様は導いてくださった。決して揺るがされない関係、というものがある、そのことを思い出させてくださった。神様が、私たちを愛してくださっている、それがどれだけ大きいことか。
神様はホセアという人を通して、イスラエルの民に↑のように語った。↑を見てわかる通り、どれだけ彼らは我がままだったか。エジプトで奴隷として囚われていたとき、そのような絶望下にあって神様は彼らを愛するが故、見捨てる事なく救い出された。ところが救い出されたらもう私は大丈夫、好き勝手に生きるわ、と離れて行く。でも自分の思う通に行かないと神様に恨み言を言い遠ざかる。神様が彼らを癒し、養い、導いてくださっているのを忘れて。今この瞬間だって神様が彼らに目を注いでいるのを忘れ。
それゆえ、彼らはアッシリヤやバビロンに捕囚されていくことになるだろう、と神様は語られた。そして事実そのようになった。ある意味自業自得だろう。でも、神様は義人だけに愛を注がれるのか?それなら誰一人神様の愛を受けられる人などいない。神様は、↑で「わたしの子」と表現する通り、大切な子が、私たちが捕らえられ苦しみ続けるのを我慢できない。
だからその裁きの宣告の後に神様はどれだけの思いを語られたことか。見えるでしょうか?「わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか」「どうしてあなたを見捨てることができようか」。それは物理的な話だけではない、神様の心の内は、「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている」と、そのような民に向かってさえ語られているのです。お前たちなど知らん、ではない。それでもあなたへの憐みで心が、胸が熱くなっている、と。他の訳を見たら、「わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる」と、あなたを思うと胸が焼かれるようだ、というのです。
だから頼むからかえって命を得てほしい、そう訴えるのです。だから捕囚の地にあってもわたしが共におり、なお必ずあなたがたを連れ帰る、と↑の箇所の後に語られます。
私たちは、神様なんてどうせ私のことなんか知らないでしょう?私の何が分かるの?と思うかもしれない。そして私たちは問題の方に目を向け、神様から目を、心を話し、別な存在もしない偽の神々に心を裂く。でも私たちが勝手に神様から離れているだけで、神様を無視しているだけで、神様の私たちへの思いはこれほどまでに強いのです。とっくに見捨てられてもおかしくない彼らになお、わたしはあなたに心を注いでいるんだ、と訴えるのです。
神様はね、何より私たちが神様の愛から離れ死にゆく事、滅びゆく事が我慢できない。だって「わたしの子」、神様ご自身が造られたあなたが苦しむ姿を父としてどうして見過ごせますか。だから、神様は神様の愛を信じられない私たちを、私たちと和解し、揺るがない神様との和解、親子関係へと回復させるべく、その心を引き裂いて、御子イエス様を身代りに十字架に架け死なせる決断をされた。罰する決断をされた。信じられるだろうか。大切なひとり子なる御子イエスキリスト様を身代りに、ですよ?でも、私たちのいのちを引き裂く事よりも、神様と私たちの関係が罪によって引き裂かれる事の方が我慢ならなかった。あなたへの熱い、ふつふつした思い故に決断されたのです。
そこまでしてまで神様はあなたを取り戻される事を決断された。その神様が今もなおあなたのうちに生き、共に歩まれ、ご自身の栄光を、御心を、愛を、ご計画を現してくださっている。あなたの生涯はイエス様のいのちによって買い戻された、もう神様の御手の中にある。この関係は震災だろうが台風だろうが揺るがす事などできない。天の御国に行くまであなたをその御手でしっかり握り、死して後ご自身の元にまで連れ戻してくださる、そう約束してくださっている。
今日、私たちの目をもう一度主に上げよう。王の王に。十字架を見上げよう。あなたへの神様の思いがそこにすべてある。この十字架によって結ばれた神様とあなたの関係を揺るがすものはない。今日主の元に帰ろう。