(9月6日未明の北海道大震災で被災をして17)
「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」 民数記6章23-27節
神様は無機質な、感情も持ち合わせていないような存在ではない。動かない偶像でもない。生きた、人格を持った神様であり、その神様は私たちにその顔を今日も向けられいてる。
9月6日未明に起きた北海道の大震災。そしてブラックアウトにライフラインの断絶。未だに土砂災害の可能性は続いていて、震源地付近では25か所近くに渡りその土砂災害の可能性が出ている。そうした目に見える被害だけではない、心の被害は本当にそれぞれ大きい。何より、家を失い、家族を失い、そんな人たちの心はいかばかりか。私もその差はあれど、このブラックアウトとライフラインの断絶という中で、仕事をして、本当にどうしたらいいのだろう?とこの目に映る世界では困惑しました。
そんな時、↑の神様の約束を思い出したんです。キリスト教会ではよく、礼拝の最後に祝祷と呼ばれる祈りの中として取り上げられるのですが、これは神様がこう祈りなさい、と仰られた以上、その祈りに神様は応える、という約束でもあるのです。人格を持った神様が。
そう、神様は何か機械的に私たちに何かをされる方ではなく、神様は感情を持った、生きた神様なんです。私たちが苦しんでいる時、見過ごすような神様ではないのです。霊的な事には関心があるけど、あなたの普段の生活の中の苦労は知ったことはない、とか、そんなこともおっしゃらない。どれだけたくさん献金を捧げたら、仕方ない、と重い腰を上げる神様でもないんです。
神様は↑の祈りの中で3つの約束をされました。それは、私たちを「神様が」繁栄・生きた者とし、その中で身体的にもあらゆる悪から危険から守られ、その顔をあなたに向けあなたと人格的な結びつきを持って私たちができる以上に神様の最高の恵みを注がれる事、そして最終的に平安で私たちの内を満たされる、主にある勝利を与えて下さる、そう約束されたのです。
ちょっと解説的な話でごめんなさい。ただ、日本にいるとどうしても神様って「像」とか目に見えない「不確かな何か」というイメージがある。というよりも人間が自分の満足のために造りだすからなんかこう、無機質なものに感じるんですよね。どこを見ているのか、何を考えているのか分からない。
でも、神様は「顔」を持っておられる。神様が顔を向け、というのですから、神様は私たちに顔を向けられているのです。それがどれだけの励ましになるでしょう。神様が、この天地万物を造られた神様が、私たちに顔を向けられているんですよ?どこ見ているかわからないそんな顔も目もない「像」なんかではない、生きた神様なんです。あなたを見ておられるんです。
無関心なら顔を向け、と祈るように教えなんかしない。私たち・あなたに関心があり、人格的な生きた関係を持ち、私たち・あなた自身丸ごと、ご自身の恵みで満たしたい、そう願っているんです。だから、あなたの顔を、思いを、祈りを、神様に向けるように、そう神様は語られたのです。この神様があなたを保証しているんです。
この祈りを教えられたイスラエル。彼らは荒野で多くの問題に直面した。戦いもあった。でも神様の顔はいつもあなたに向いているんだ、だからどのような時であっても、神様にあなたの心も思いも、その顔を向けてほしい、そう彼らに訴えた。彼らはすぐに問題が来ると、神様などいない、あのエジプトに捕らえられていたときは肉が食えて~と、あれだけ苦しめられていて、助けてほしいと叫んでいたのに、神様の救いを忘れてしまった。それでも神様は彼らを愛するが故に救い出されたのに。
神様は感情があるから彼らが苦しんでいるのが見ておられずありえない奇跡をもって救い出され、勝利を収めさせて、神様が平安を与えて下さったのにすぐに、自分の思う満たしを求め平安のはずが平安ではなくなっていった。彼らの心が世に、サタンに奪われてしまったのでした。
神様は、生きた人格を持った神様。だから、私たちが罪の底に沈んでいる事を神様は我慢できなかった。このまま黙って放置する事も出来た。顔をそむけ、見捨てる事も出来た。でも神様は愛の神様だから、そのまま見過ごすわけにはいかなかった。だから神様は御子イエス様に私たちの罪を身代りに背負わせ、身代わりに十字架で罰せられ、身代わりに死なれた。どうして罪人の、神様を神様とも思わない私たちのために御子イエス様のいのちを身代りにすることができるだろう?あなた自身が滅びゆく事が我慢できないから、その救いの機会をまず示されたのです。あなたを見捨てるならそんなことはしない。そこまでしてまで取り戻されたのがあなたです。
あなたがこのイエス様の救いを受け入れるなら、神様と生きた人格的な交わりの中、溢れんばかりの恵みを神様は注ぎ、あなたのすべてを守られるよう助け主なる聖霊様を送られ、あなたの内に住まわり、あなたを平安、やがて勝利へと導かれるのです。天の御国に凱旋し、私たちは勝利の行列に加えられるのです。サタンもすべては滅び去って。
神様は、まだ私たちが罪の中にいる時でさえ、初めにご自身の愛を御子イエス様のいのちを十字架に架けるほどに私たちに示された。あなたがどこにあろうとも、神様は今日もあなたが顔を神様に向け帰って来るのを待っておられる。御子イエス様のいのちに添えて、新しい神様との関係の中で最高の恵みを注ぎたい、と。主と結ばれる時、主は世の終わりまでいつもあなたと共におられ、↑の祈りがあなたの内に成される。神様がどんな状況にあっても、被災地であろうと、迫害の中であろうと、何もないように見える荒野の中であっても。今日、私たちの顔を神様に向け、御子イエス様のいのちさえ惜しまず身代りにされるほどの神様の愛、ご計画に目を向けよう。
主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。