ー神様はお一人で十分ー(9月6日未明の北海道大震災で被災をして9) | とある働き人の聖書のお話

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東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

96日未明の北海道大震災で被災をして9

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」

Ⅰテモテへの手紙24-6

 

9月6日未明、北海道で大震災が起こった。北海道では本当に滅多に大きな地震がなく(震度1でも取りあげるくらい)、あまりの出来事に驚いた。この震災により拠り所としていたものを失った人、家を、家族を失った人、ライフラインの停止によって今まで普通にあったものを失うこともあった食糧も電気も水道も、情報も。何より平安だ、と思っていた普通の生活がひっくり返り、本当に疲れ果てた。今も農家や畜産、漁業関係、多くの人たちがダメージをこうむっています。

 

被災のレベルの差はあれど、私も被災しライフラインの寸断、決してこれが神であったわけではないのですが、やはり当たり前にあるものがないとしんどいですね。

 

今回の震災の翌日、る人と話をしていたとき、その人は神様を信じているわけではないのですが、本当に大切なものはほとんどなく、金をかけて便利さだけを追求しても最後には何も残らないんだね、と言っていたのが印象的でした。

 

その話をしている時、ふとじゃあ最後に残るのはなんだ?と思っていた時に導かれた。いや、残りものには福がある、的なものではなく。そもそも最初から最後まで変わる事無く存在している方、私たちを救おうとその愛の御手を伸ばし続けている神様がいる、ということをもう一度思い出させられたのです。

 

神様は唯一。このことばを、クリスチャン以外の人が見ると何と傲慢な、と思うだろうか?世が神としているもの、パワースポットだの神社だのはこの分野は得意、これは苦手、とかある。まあそもそもの話が存在もしないんだから得意も減ったくれもないんですけど。

 

でもね、神様はそもそもの話この天地万物を造られた。そして、私たち一人一人を計画をもって愛し、また造られたんです。お母さんの胎の中にいる時から守り導いてこられた。お子さんがいる方なら、特に子供がお母さんの胎の中にいる時に実感しなかっただろうか?なぜ自分たちは何もしていないのに、形づくられて心臓も動いていくのか?もちろん胎盤を通して栄養を与えているから、とか色々理屈はこねる事はできるけど、私は自分の子どもが胎の中で成長していく様子をエコーなどで知りながら、子どもを育ててくださっている神様の存在を無視する事などできない、とまざまざと感じさせられました。

 

神様は全てを造られた。また私たち一人一人を救いたい、一人でも多くの人が救われる事を願っておられる、ならどうして私たちの作り手である神様が私たちを、私を今日、見捨てるはずがあるだろう?今苦難の中にあって神様が無視している?いやとんでもない、神様は造られた造り主として責任を持って愛され続けてくださっている。そして、ただ心のよりどころとしてだけではなく、私たちに必要な友や、励まし手、また祈り手、また具体的な光源や食料も届けてくださった。

 

神様は唯一。それは神様に不可能な事はない。神様は全てを与えて下さる神様なのです。神様に不足はありません。どこかの神社のように得意不得意もない。神様唯一。神様1人で足りない?そんなことはない。神様に全てがある。だから私たちはこの神様に頼れるのです。

 

別に神様以外の友を持ってはいけない、とかそんなことはない。神様はその友を通しても必要を満たされるし、隣人を愛するようにも命令されていますから。世捨て人のように生きよ、とは言っていない。でも私たちが忘れてはいけない、過小評価してはいけないのは、神様に不可能な事はなく、神様のところにはすべてがあるということなのです。

 

神様に届けられないものはありません。それがどこであろうと。神様は私たちを愛するゆえに。だから、神様は私たちの罪空の救いのため、その代価を支払うためなら、御子イエス様を身代りに十字架に架け死なせることもできる。私たちに最も必要なもの、罪の赦し・救い・神様との和解。これを御子イエス様の十字架によって届けられたのです。私たちを死の、裁きの墓の中から引き上げるために、主ご自身も死なれ、また墓の中からよみがえられることによって、私たちに復活のいのちをもたらされた。新しい神様との関係、罪の奴隷ではなく、暗闇のどん底にいる罪という名の被災者(表現は微妙ですが)としてではなく、神様の子としての特権を与えるために。その最大の被災地から神様は私たちを引き上げるべく御子イエス様を遣わされた。救いに至らせてくださったのです。

 

そこまで来られる方が、そこまで最大の救援物資を与えて下さった神様が、すべてを持つ神様が、ご自身の最大の宝、御子イエス様のいのちさえ差し出すことができる神様。そんなことができるのは唯一まことの神様のほかにはいない。いや、その神様に私たちは愛されている、そのことを知る時、私の内に本当に喜び溢れた。そこいらにいる偽物の、生きてもいない八百万の偽神ではなく、唯一真の神様に私は目を向けられ、愛され、今日も私たちと共にいる喜びに。

 

今日、私たちは神は唯一です、と告白しよう。全てを造られ、そこに全てがある全能者、御子イエス様のいのちさえ惜しまず与えることができる神様があなたに今日、目を向けられ、あなたがあなたの目を、あなた自身を明け渡し、帰る事を今日も待っておられる。この唯一まことの神様に今日も私たち自身を明け渡し歩もう。

 

(祈り)ああ主よ、神様はあなたのほかにはいません。私たちを心底、愛し尽くされる神様、あなた以外に神はいません。あなたこそ唯一真の神様です。どうか唯一真の神様であるあなたが、この被災地を、今さまざまな災害によって疲弊しているこの日本を、罪の中にいるこの世界を憐み、あなたの愛で満たし、あなたの御心が現れる御国を私たちの内に建て上げてください。あなたの栄光が現れる事を待ち望みます。