ー絶望の中に届いた福音ー(9月6日未明の北海道大震災で被災をして8) | とある働き人の聖書のお話

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東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

96日未明の北海道大震災で被災をして8

「ヌンの子ヨシュアは、シティムからひそかにふたりの者を斥候として遣わして、言った。『行って、あの地とエリコを偵察しなさい。』彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。…ふたりの人がまだ寝ないうちに、彼女は屋上の彼らのところに上って来て、その人たちに言った。『主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。あなたがたがエジプトから出て来られたとき、主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、彼らを聖絶したことを、私たちは聞いているからです。私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。』」

ヨシュア記21-13

 

9/6未明、北海道で大震災があってから9日。少しずつ少しずつ、物流も戻り始めた。でも、家を失ったり、家族を失ったり、そうした悲しみの中に閉じ込められている人も多くいる。いつになったら帰れるんだろう、いつになったらこの悲しみから出れるんだろう、

 

私も震源地から少し離れていますが被災し、ライフラインが一時断絶され、本当に疲れた。いつここから出られるんだろう。平安はいつ訪れるだろう?そんな思いに駆られた、だって人間だもの。感情を閉じ込める必要はないから。そんな時、この箇所を思い出した。ある遊女に救いの日が訪れたことを。「神様が」救いのために使者を送ってくださった事を。まあこの箇所はおもにはイスラエルの民が約束の地を勝利するための偵察としてみるのですが、この中にいる遊女ラハブの視点で見ると改めて神様が教えて下さった。

 

エリコという巨大な城壁に囲まれた街の中にラハブという遊女が住んでいました。彼女はこの町のバアル教という宗教の宗教行為に利用され、神殿娼婦とされてしまって本当に深い悲しみの中にいた。彼らは豊穣などを願う時にそうしたことに女性を利用したのだ。一体彼女はどれだけ傷ついた事だろう。存在もしない偽神のために。子どもを火の中に通したり、女性をそうしたことに利用したり。

 

彼女はいかんともしがたい絶望、壁の中に、闇の中に閉じ込められていたのでした。そんなさなか、神様が、イスラエルの民が今このエリコの町に来ているという情報を掴むのでした。彼女は恐らくその酒場できなところかな?そんなところで、まことの神様が当時最強と言われたエジプトを打ち砕き、イスラエルの民を救い、何と紅海まで割ってその海の真ん中を渡らせ、この周辺国の王たちを打ち破ってきた、その話を聞いていたのでした。

 

そう、神様はこの彼女の元に福音のメッセージ、救いをもたらしに来たのでした。遊女、言葉だけを見たら誰がそんな人を救いますか?顧みますか?しかも聖い神様。姦淫を嫌う神様。どうしてそんな彼女を救うだろう?しかし、そんな救われるに値しない女性のところにまで神様はこの偵察隊を導かれたのです。たまたま?いえ必然です。その彼女を通してイスラエルの偵察隊は守られたのですから。

 

ラハブはもうどうにもならず絶望していた、誰一人彼女を救い出さない、いつまでこんな悲しみの中にいなければならないんだ?そう絶望する中にいた。その彼女に光を差し込むべく、いや救い出すべくこの偵察隊を「神様が」送ってくださったのでした。彼女はだからイスラエルの民と分かっていて、この町を打ち砕く敵ではなく、私を救う神様の使者が来た、そう喜び、喜んで彼らを泊めた、町の役人たちがスパイを出せ、と言っても嘘を突き、危険を冒してでも彼らをかくまうという決断をしたのです。

 

神様からしたらこれから撃ち砕き、イスラエルの民に与えると決めていた地。彼女など顧みる必要などない。でも神様は闇の中に、悲しみの中にいる彼女を見捨てられなかった。いや彼女だけではない、エリコの民にだって悔い改めの機会をこの偵察の日から、勝利の日まで、最後の7日間でさえ機会を与えてくださっていた。

 

神様の愛が、光が届かない場所はない。神様は私たちに救いを与えたい。私たちに希望を与えたい。私たちを神様の御心で、いのちで、喜びで満ち溢れさせたい。私たちが知らないだけで神様はその使者を送られる、その御手を伸ばされるのです。私たちに開放を告げ知らせるために。

 

その究極の形として神の御子イエス様をこの世に遣わされた。神であられるのに人として。本来神様を捨て、断絶されてしまった民のところに。その愛を具体的に届けて行った。イエス様は社会的に見捨てられている人のところにも言った、死刑囚の横にも自分が死刑囚となって十字架にかかることで行かれた。私たちという神様の前に絶縁、裁きの宣言をされてしまったその私たちの横に来られた。そして私たちの罪の身代わりに十字架に架かられ死なれたことによって、陰府にまで下られた。イエス様は私たちを救うためならそこまでされる。された。神様は御子イエス様を身代りにしてでもあなたに救いを宣言したいのです。あなたを罪の奴隷、闇、悲しみ、絶望の中から引っ張り出したいのです。

 

いのちをも投げ出してまであなたのところに来られる、あなたの身代わりに死なれるほどに愛される神様が、御子イエス様のいのちをあなたの身代わりしてまで買い戻された神様がどうしてあなたに無関心でいられるでしょう?あなたを救うために、この選択をされた神様がどうして見捨てられるか。

 

あの日から、あなたのところにも救いの御手が伸ばされている。でもその手を取るかどうか、このまま救われる日が来るかどうかを信じるかは私たち次第、ラハブもそうだった、こんな連中を信じたって何になる?と思うか、信じて神様を受け入れるか。しかしラハブは信じ受け入れた時、この絶望から救われただけではなく、神様の民に、子として加えられた、それだけではなく、何と遊女であるにもかかわらず御子イエス様の系図にその名を残された、その家系図の一端を担うこととなるのです。あなたもこの救いを信じる時神様の子としての栄誉を受けられる。解放、それだけではなく救いと、新しいあなたが始まるのです。

 

こんな時に神を信じたって何になる?と思うだろうか?しかしイエス様の救いを信じるとき、あなたは神様の子としての大いなる特権を受け、あなたは神様の養い、いのちの中、御手の中に入れられる。もう私たちは恐れてはいけない。いつまで絶望が続く?神様の使者があなたの内にイエス様を遣わされ、今日もあなたのために命を投げ出す死者、御子イエス様があなたの内に住まわれる。これ以上の平安はない。今日、あなたの内にイエス様をお迎えし、イエス様の御心を現し、愛でいっぱいにしてもらいましょう。そしてイエス様と共に歩みましょう。その時、あなたのエリコの町は、闇は、光へと変えられる。神様の御国へと変えられる。

 

(祈り)ああ主よ、どうぞ今なお被災地で苦しんでいる人たち、また被災によって苦しんでいる人たち、また疲弊したこの日本に、また罪の中に苦しみ希望を見いだせない人に、ああ主よあなたの御国をなしてください。あなたの光を灯して下さい。どうぞ彼らの内に神様の愛が全うされ、あなたの喜びを、希望を得、あなたのいのちを受けられますように。また彼らに必要な使者が、いのちが彼らの内に届きますように。