ーあなたを幸せにしたい神様ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。見よ。天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである。あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。」

申命記1012-18

 

神様の願いは私たちが幸せであること。神様は私たちが「本当の意味で」幸せになるためならなんでもされる。私たちはもっと神様の偉大さを覚えていたい。

 

さて、↑のことばは、神様がモーセを通してイスラエルの民に、いや、今目の前にいるイスラエルの民だけではない、後に生まれてくる世代、また私たちに向けても語られた大事なメッセージ。かつてエジプトに奴隷として捕らえられ(世界的飢饉から救うべく神様がひとりのイスラエル人を遣わし、彼を通して神様が救われた、そのことを知らない王朝が起こって、イスラエルの民を恐れ)ていた、その民を神様がモーセを通して救いだし、ついにかつて彼らの先祖たちに誓われた地にたどりつこうとしていた、その所で↑のように神様は民に語られたのでした。

 

「ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守るように」と。何やら支配的に聞こえます?いえ、神様は彼らを支配したいわけではない。だったら「私に服従しろ」と言うでしょう。しかし、神様を愛する、神様に従う中に神様がその御心を現し、幸せにする、その約束がはっきりと見えないだろうか?

 

彼らはこのエジプトを出て後ここに来るまでの間、はっきり言って神様に幸せするよ、と言われる資格などないほど神様に逆らっていた。とっくに神様に見捨てられてもおかしくはなかった。先祖たちに免じてエジプトからは助けてあげたけど、後はもう知らん、と言われて荒野に見捨てられ、周りの国々に打ち砕かれていてもおかしくはなかった。

 

でも、神様は彼らを恋い慕った。だから、彼らに一時の救いで、奴隷状態から救い出して終わり、ではなく、彼らが幸せになる、幸せに生きることを願われたのです。

 

でも、ただやみくもに愛せ、と神様は言ったわけでもなくこうもおっしゃられた。「見よ。天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された」と。すべてのものは神様のものである、と。そう、神様はそれらすべてのもの、天と諸々の天の天、地とそこにあるすべてのもの一切は神様のものゆえに、その一切の地にあるものから、地にはない神様のおおなる祝福をあなたの内に注ぐから、だから私の内を歩みなさい、そうおっしゃるのです。

 

しかもその神様は、かたよって愛することなく、賄賂を取って一生懸命修行したり、金を払う人の実を愛する事をせず、みなしごや、やもめのために正しくさばきを行ない見捨てることをせず、在留異国人にさえ愛してこれに食物と着物を与える神様。そんな人の手の届かないところまでも神様の愛は届く…神様は全ての霊的な資産をもって私たちを愛する方なのです。世がどんなにあなたを裁こうが、追い詰めようが、神様が共におられる、すべてを治める方が、あなたと共にいる、あなたの内にその御心を現し、神様の目から見たあなたへの幸せを、その愛ゆえに実現させたい、だからこそわたしの元に帰るように、そう訴えるのです。

 

神様は、極端な話、私たちを無理やり服従させることもできる。それこそ人間が造り上げた宗教のように。でも神様はそんな首根っこをひっつかまえて無理やり従わせるのではなく、神様の愛を受け、神様と共に生きてほしい、神様はその御心・愛をもって、あなたの内にそれらを実現させるから、と私たちに訴えるのです。機械的なものではなく、あなたとリアルな関係の中を生きたい、その中にご自身の御心を現すから、その思いがまさに↑に現れているのです。じゃなければ、「救ってやったんだから従え」で終わる。神様はご自身の資産をもって、愛をもってあなたを幸せにしたいのです。

 

何度も何度も同じような事を言っていますが、何度でも言います。神様はあなたが幸せになる事を願っている。だからこそ、かつてイスラエルの民がエジプトに捕らえられて神様から引き離されそうになっていた中で、神様ご自身が彼らを憐み恋い慕って、エジプトから救い出されたように、私たちを神様のいない罪の中、暗闇の中から救い出すべく、神の御子イエス様に私たちの支払わなければならない罪の代価を身代りに支払わせたのです。

 

神様を捨て、神様から離れ、その祝福を失ってしまった、もう見捨てられてもおかしくなかった私たちを憐れまれ、恋い慕われ、私たちを打ち滅ぼすことよりも御子イエス様を身代りに罰せられるという究極の選択を神様は選ばれ、あなたの内にご自身の愛を実現させたのです。みなしごを見捨てない神様は、彼らに衣食住を与える神様は、神様に見捨てられ罪の奴隷、どん底、死の中にいる私たちに御子イエス様という衣を着せて下さり、いのちをくださった。いのちのパンをくださった。私たちを生きた者としてくださったのです。この御子イエス様にあって神様の愛があなたのうちに実現したのです。

 

天の天も、地にあるすべてのものもご自身の御手の内にある神様は、御子イエス様のいのちという究極の愛を与えて下さった。そしてその御子イエス様にあって、私たちは悔い改め立ち返る時、この罪の奴隷から解放され、神様の子とされ、私たちはこの神様の養いの中生きる者となるのです。天の天も、地にあるすべてのものも神様の与える愛の前になすすべはない。この神様の愛に勝る者もなければ、あなたを神様の愛から引き離す事などできない。だから、わたしに信頼するように、立ち帰るように、と神様は訴えるのです。

 

あなたは神様のこの愛を受け取っただろうか?この愛のうちに生きているだろうか?神様は御子イエス様にあってあなたへの愛を、御心を豊かに実現させたいのです。救って終わり、ではなく、あなたの全生涯にわたって、癒しして後天の御国であなたを迎える、その時に至るまで。

今日、私たちは神様との機械的な関係、宗教的関係から離れ、心からの決断を持って神様をしたい求め、神様のあなたの内に持っておられるその御心に信頼し歩もう。あなたは御子イエス様にあって買い戻された、それ程に神様に愛されている存在なのだから。今日、主に帰ろう。