「さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。『神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。「そら、ここにある」とか、「あそこにある」とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。』」
ルカによる福音書17章20-21節
私たち人間ほとんどの人が思うこと。それは、死んだらどうなるのだろう?どこにいくのだろう?という事。私も小さいころ思っていましたし、分からない小さな子供のころは本当に怖かった記憶があります。存在が消える?消えたらどうなるの?とか。
昔、パリサイ人という宗教家がイエス様に神の国はいつくるのか?と尋ねました。まあと言っても、一応神様は信じていても、やはり誰か王になって、このローマの圧政から脱してくださる王を求めていたにすぎなかったのですが。何よりイエス様を殺害しようとする人たちなのですが。
ただ、イエス様はそんな反対者であるパリサイ人なんて滅んでしまえばいい、と無視をされる事もなく、誠実に応えられたのです。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」と。
心の中に?え~どこぞの夢の国じゃないし、心の中?何を言っているんだ?と思いたくなるところですが。実にイエス様は大事なことを語られているのです。それは天国は死んでからしかその素晴らしさを味わえないわけではない、ということ。私たちもその天国の前味、一端を、今でも味わうことができるのです。いや、本来は私たちはその天国の味を神様と共に歩みながら味わう者だったのです。
ところが、私たちは神様を裏切り離れ、好き勝手に生き、神様を悲しませ、神様を捨て、自分の思うままに操れる神を求める…そんな私たちの罪ゆえに神様と私たちの関係は断絶され、その罪ゆえに本来は、永遠の神様との断絶、死して後には裁きが待っているだけのものでした。しかし、ここでイエス様がわたしを殺そうとするパリサイ人など滅びてしまえ~!と無視するのではなく、悔い改めに導こうとされたように、神様は私たちを見捨て、無視し、捨てる事は出来なかった。だから私たちの罪を身代りに、神の御子なのに、何の罪もないのにもかかわらず、そのイエス様に全部背負わせ、身代わりに罰せられ、この救いを信じ受け入れる人には、死んで後、神様がご支配、治められる天の御国に神様が迎え入れてくださる約束をされたのです。その裁きの宣告は取り下げられるのです。
が、イエス様はここで、その救いの約束を示されただけではない。むしろ、私たちの心の問題。私たちがイエス様を、神様を排除しようとするところには、罪あるままでは決して神様の本当の恵み、天国の前味さえ味わうことはできない。でも、私たちがイエス様を救い主としてお迎えし、神様の前に立ち返るなら、私たちは神様の子として迎えられるのです。そこに神様のご支配・御子イエス様をさえ惜しまずあなたのために命を差し出すほどの愛を注がれる方があなたを治め養ってくださるのです。真の父なる神様となって、あなたを神様の子として。その中にこそ、天国の前味・神様の国があなたのうちに起こる。そしてその神様のご支配を通して、その国は広がっていく、あなたの周りにまで広がっていくのです。それこそ「国」という言葉にふさわしく。
イエス様はご自分を殺そうとするパリサイ人にさえ、その救いの道を示された。自分自身の宗教観で、神様を排除したその歩みには命はない。神様の元に帰ろう、と。私たちもイエス様を十字架に架けた張本人。神様の愛をどれだけ受けても忘れ裏切っていく。その罪ゆえに私たちもイエス様を十字架に架けた。でも、それでもイエス様はあなたを見捨てず、あなたのその罪も、重荷も全部私が背負おう、新しいいのち、永遠のいのちを与えよう、とあなたを今日も招かれているのです。何という愛。その愛は、天国に行ったらしょうがないから与える愛ではない、あなたがイエス様を受け入れるとき、そこからその愛は、ご統治は始まるのです。神様の御国はあなたのうちに起こるのです。そして天国では完全な姿の喜びの御国へあなたを招かれる。
かつてイザヤを通して神様は天の御国の様子を次のように示された。「万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。」私たちはこの前味を味わえるのです。イエス様を救い主としてお迎えするとき、この恵みを受けるのです。
神様がすると約束されたことは必ずなります。あなたは今日、イエス様のこのご招待にどうこたえるでしょう?