「主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」
詩篇121篇5-8節
最近大雪が各地にもたらされ、帰るのもままならない、そんな日もある。ところで、私たちの生涯はどうなのだろう?神様は、実に私たちのことを愛され、私たちの行くも帰るも、守ってくださる。それは物理的な一日もそうでしょうが、私たちが神様の元に帰るその日まで主は守ってくださるのです。しかもとこしえに、というのだからこれほど感謝なことはないですね。
この詩をうたったダビデも、嫉妬から王にいのちを狙われるし、子どもの骨肉の争いによって子供たちを何人か失うこともあった。多くの敵に囲まれていた。でも彼の生涯は常に神様が共にいて守ってくださっていた。それはある一時だけではなく、順境の日であっても逆境の日であっても。
とはいえ、私たちは神様の所から勝手に離れてしまい、どうしようもなくなっていた。神様の元に帰るどころか、向かう先は罪の悲しみ、奴隷、いのちがない、暗闇の中。ついには罪による刑罰、死、滅びへと向かっていた。
でもそんな私たちを神様は見過ごすことなんてできない。だからご自分の御子イエス様を私たちのところに人として遣わされた。私たちをその滅びの道から連れ戻すために。一人ひとりを訪問されていった。ついには死刑囚の横にまで。そして私たちが罪赦され神様の元に帰るために、私たちの罪を身代りに背負われ十字架に架かられ死なれた。そして復活された。こうして、神様との和解の道が示されたのです。そして信じる人には永遠のいのち、神様の子とされるのです。
私たちはこの血によって、御子イエス様のいのちという代価をもって買い戻された。あなたという人を神様が買い戻されたのです。あなたと共に歩み、あなたのうちに聖書の時代だけにとどまらず、今もそのご愛を注がれ、導かれながら、死して後天の御国に、神様の元に帰るその日まで。とこしえに。ある一点ではなく。天の御国に向かって、日々あなたを導かれる。その御手をもって、あなたを救い出されたその御手の傷、十字架の傷の刻まれたその愛の手をもって。
神様が御子イエス様にあってあなたを取り戻されたのだから、もう私たちはただこの方に信頼しよう。その言葉を疑わず、たとえ戦いや暗い日々であっても主があなたと共におられご一緒に導かれるから、ただただこの方に信頼し、御跡をついていこう、もっと神様に期待しようではありませんか。なにせ神様があなたと共におられるのだから。