ーあなたを良く知る神様ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。」

詩篇1391-6

 

あなたに何が分かる?そう叫びたいことは私たちが生きている限り多々ある。それは時に神様に向かう事もある。どうして私の今のこの状況にあなたは応えないんだ?私の思いなどあなたは知らないでしょ?と。

 

でもそれは世が造り上げる生きてもいない、死んだ神、というか神でもないただの作り「物」。真の神様は死んではいないし、あなたのことをよく御存じなのです。上のことばを客観的に眺めてみると、私のことを監視しているのか?と変な目で見てしまうかもしれないが、そうではない。何か束縛するために読み取ろうとしているわけではない。神様はあなた自身に関心を持っておられるのです。あなたが神様にとってどうでもいい存在だったら、そんなあなたになんか目も留めないでしょう。

 

あなたは知っているだろうか?私たちは神様によって造られた者であるという事を。私も今年子どもが与えられ、胎の中にいるころからその成長をエコーなりなんなりを通して知ってきましたが、これは人の手でできるものではない事、日々実感しましたし、今もしています。どこでそんなことを覚えるのか?造り主なる神様が教えてくださっていた、そのようにお造りになったとしか考えられない。

 

話はそれましたが、私たちを造られた神様は、親として私たちに関心を持っておられるのです。あなたに関心を持っておられるのです。私たちの思いを叫ぶ以前から神様はあなたのことを見守っておられるのです。だから神様は、あなたにとっての最善な時に、最善のものを備える事が出来る。檻に叶った知恵や助け、力、様々なものを主は与えたいと願っておられるのです。

 

ただ、残念ながら私たちは神様から離れ、本来神様が与えたいと思っているいのち、恵みそのものを、地上のものとはわけが違う祝福をあなたにしたい、と思っていたのにそれを失ってしまった。神様との関係が断絶されてしまったのです。だから神様は、神様から離れ、真の喜び、真のいのちを失い、神様から離れ、罪によってやがて死にゆく、滅びゆく事が我慢できず、座り込み、伏している私たちを、立ち上がらせ救うために、御子イエス様を人として送られ、私たちの間にその愛を示されたのです。

 

でもイエス様が本当に示されたかったのは、私たちが神様に帰ること。そこにいのちがある事、希望がある事、ここにこそ救いがある事、ここにこそ永遠に変わることのない愛があることを教えてくださるのです。

 

だから、その失われた神様との関係を修復するために、御子イエス様は、私たちの罪を、痛みを、悲しみを、病を全部ひっくるめて背負って十字架に身代りにかかられ、死なれた。でも、それだけではなくそのイエス様の身代わりに引き受けられた罰を見てよしとされた神様はイエス様をよみがえらせることによって、イエス様を救い主として受け入れる人にも同じように罪の赦しを与え、失われた断絶された関係を修復し、私たちは神様の子とされるのです。神様の養いの中にある真の親子関係へと引き戻されるのです。そしてこの親子関係の中に、聖書の中に記された一つ一つの神様の御業があなたの内にも起こる。昔の出来事ではない、あなたと神様との関係の中にその偉大なる愛が満ち溢れるのです。それは、不思議、私たちの想像の及ぶものではない。どうして?あなたのために御子イエス様を十字架に架けて死なせてまで愛し、取り戻そうとされたのだから、どうしてあなたに関心を持たないはずがありましょう?

 

今日わたしたちはもう一度イエス様の愛を心に覚えよう。この方に信頼しよう。主はあなたの心の思いも何もかも知っておられる。私たちは今日、そこいらに置いてある、偽の、神と周りが読んでいる「もの」と真の神様を同列に並べるのをやめ、唯一真の神様に信頼し歩もうではありませんか。御子イエス様のいのちをもってあなたを買い戻された、それほどまでに愛される神様に聴き従い、歩みたいものです。