「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ…サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、…ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ…、ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。」
マタイによる福音書1章1‐16節
家系図。それは自分と家族の歴史。それを見て自分の一族を誇るかもしれません。でも同時にそれは神様があなたの生涯にどのようにかかわっているのかをも現すもの。
人類はアダムとエヴァよりスタートし、その子孫子孫へとつながっていきました。そしてアダムさんとエヴァさんも神様によって造られた、そういう意味では私たちは神様の家族なんです。すごいですね。みなさん、あなたは神様の家族なんですよ?何という感謝なことでしょうね。
ところが私たちは神様を退けてしまった。神様の家族であるにもかかわらず、神様から離れていってしまった。本来私たちは神様に勘当されてもおかしくない身でした。実に家系図からそういう理由で外されている人を私も何人か知っています。まあやりすぎと思うかもしれませんが。まあおそらくその家の恥だから名前など残さないようにしよう、と考えたのかもしれません。
私たちもだから本当はその神様の家系図から外されてもおかしくはなかった。こんな罪人、どれだけ愛してもすぐに離れていく、忘れる、自分の思う通りにならないと不機嫌になって離れていく、そんな私たちなど、神様から見たら恥以外の何者でもない。
ところが、神様は私たちを神様の家系図から切り離すことはなかった。上のことばは、御子イエス様の家系図。この中には兄弟を嫉妬から奴隷へと売り払った人の名前があったり、不倫・隠蔽殺人を犯した人もいる。近親相姦という不貞をした人のの名前もあれば遊女の名前も。
特に、この中には別にわざわざ名前を記さなくてもいい人もいた。イエス様の系図を汚すような職業の人だって。でも神様はそれでも彼らを家族としたかった。だから、彼らを、また私たちを神様の家族へと連れ戻すために御子イエス様を私たちのところに送られた。失われてしまい、そんなどん底にまで落ちてしまって、罪にもがき、死して行くしかないあなたを連れ戻すため、その罪の代価をイエス様のいのちをもって支払われ、そのイエス様の愛、救いを受け入れるあなたを、上に列挙された、とても神様の家族の系図には相応しくないように思える人のようにあなたも加えられるのです。
その時あなたはイエス様によって新しく生まれる…新しいものとされる。神様の家族として迎え入れられ、神様があなたの内に生きて働かれ、導かれる、いや死して後もあなたと共に永遠に住まわれる。何と感謝なことだろう。
神様はあなたという人を取り戻すためなら御子イエスさまさえ惜しまず死に渡されるほどに愛される方。そのあなたを今日神様は招かれている。親が子の養育をするがごとくあなたをどんな時も養い導かれる。今日私たちはもう一度主の前に立ち返り、なお神様に従い歩もうではありませんか。そこには、どん底に沈んでいる時では思いもしない神様のいのちが新しいあなたの内にあふれるから。