PHAEDRA - TANGERINE DREAM
(A =SIDE=B)
フェードラ PHAEDRA (16:58)
1. 夢魔の浜辺 MYSTERIOUS SEMBLANCE AT THE STRAND OF NIGHTMARES (9:59)
2. 架空の楽章 MOVEMENTS OF A VISONARY (7:56)
3. 続唱C
SEQUENT C (2:13)
Edger Frose-mellotron, guitar-bass, VCS-3 Synthi, organ
Chris Franke-moog synthesizer, keyboards VCS-3A
Peter Baumann-organ, electronic piano, VCS-3 synthi, flute
Recorded December 1973 at The Manor Studios Produced by Edger Frose
<音楽の新たな体験>と<未知の領域>への追及 - 不可能性の狩人たち
間 章(AKIRA AIDA)
- 「人間は人間を超える為めの存在でしかない」というニーチェの言葉と「すべての神性と秘蹟は皆我々の肉体の中にある」と説くヤコブ・ベーメの言説を照らし合わせる時、この矛盾のような暗いこだまの中からあらゆる凶々しさの光と共に宇宙の深淵と 人間の未知とをつらぬく広大な <ひろがり> が立ち現われて来る。その暗闇と未知の中から一つのクラルテへ達するには、可能性の追求というよりも不可能性の探求という非知・非合理の旅を持ってしかたりつけないような不可知で不分明な方法とシステムがあると言える。古来すぐれた芸術家や詩人そして 神秘家は直観的にその事を知っていたと考えられる。それらの人達にとって明らかなことは、具体や合理だけではなく非合理を未開発な肉体や頭悩を探る一つの手だてとしてまさに自己と宇宙の合理と非合理の間に深く身をおいていたということだろう。
- 音楽においても例えばバッハやシェーンベルク、 メシアンといった人達は哲学におけるヴィットゲンシュタインやヘーゲルやニーチェ、文学におけるゲーテやトーマス・マンやカフカ等と同じくその時代の最も際だった明智を身につけると共に魔術的観念や神秘思想にも深く関わっていたのである。
- ことこの20世紀に20年ばかりの歴史を持つロックの中にあっても、ロックそれ自体の光と闇、明智と非合理、表面的な文化イデアと裏側の影の文化、イデアに深く関わったと考えられる人々がいる。 それらの人々は時としてアンダーグランドの中にその実体をうもれさせたり又時としてポップスターとして一面的な成功を収めたりしながらも、知られざる影の側面、闇のイデアを有していたのである。ロックの歴史が表面的にブルースやR&Bの影響から商業的に成功を収めたファッション的形がいによって築 かれ形づくられるのに対して、ロックの創造性の問題や異化の領域について語る場合、ロックにはその表面的な歴史に対して常に <もう1つの暗い流れ> <もう一つの歴史系> <もう1つの影の領域> そして <もう一つのロック・カルチャー> があったことが 浮かび上り明らかになるに違いない。そのロックの <暗流> とは演奏フォームやスタイル、コンセプトといった形では明確に決してされない意識的又は無意識な意志や志向、 <不分明> <未明> なものへの働きかけであったと言えるだろう。そして我々はロックの <暗流> とは何かについて思いめぐらせるとき、もう1度ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやマザーズ・オブ・インベンションといったアメリカの 理念的なグループについて考えなおしてみる必要があるし、アメリカのロックに影響を受けたとは言え 独自なロック言語や文化をかたちづくって来たアモン・デュールやそしてタンジェリン・ドリームを始めとするドイツ・ロックについて考えなければならいのである。
またソフトマシーン・エコールとピンク・フロ イド(特にシド・バレット) の影響と波紋のあり方、 過去のハード・ロックとして忘れ去られようとしているブルー・チアとキャプテン・ビフハートの複雑なそして奇異な音楽性について考え、又ゴング、マグマといったフランスの不確定的ロック共同体、集団の試みの意図、について調べなければならない。 72年を境としてドイツを中心にロックの大きな変化が見られる。そして、そのパワーは大きな影響力と新しい文化を生み起すエネルギーに満ちている。その中にあるカン、グルグル(この二つは68年頃から演奏を続けていてその実験的音楽性はますますユニークであると共にドイツ・ロックとこれまでのロックの橋渡し的役目を果たすと思われる) アシュラテンプル[ママ]、ポポル・ブフ(共に実験的なエレクトロニクス・ミュージック・グループで高度な構造的サウンドを持っている)ノイ、クラフトウエルク(どちらも二人だけのグループで電子機器と様々な楽器 によって実験的即興演奏を行う注目すべき音楽性を持つ)といったグループはそれぞれの領域でロックの異化、変転の重要な流れの中心にあり、これらのグループの中からロックの未来の可能性と創造的混沌、パワーが生まれて来るに違いないと思われる。 そしてもう一つドイツのロックで重要だと言えるのが「ファウスト」である。「ファウスト」はサウンドの構造的な暴力性とラディカルな音楽意識とを持っていて、その音楽は極度に人間の生理や聴覚に対して攻撃的である。テープの逆転、突然の中断、位相の違う非調和音の波状的連続、雑音の導入、サウンド・コラージュ等のあらゆる方法で我々の感覚を破 壊し、今まで見た事のない音の景色や夢を見せ、音の異様な体験へとつれ出してゆく、きわめて特異なグループである。これらの実験的でかつクリエイティブなロックグループの動勢は大体において三つの方向に要約することができる。 - その1つはアモンデュールやマグマやゴングのようにすべての音楽やその背後のものを混沌の内に持ち混沌的サウンドの中に共同体としての音、文化、理念を求めよう創り出そうとする方向。いわば <共同体としての音楽理念と形態を追求する> <集団音楽グループ>
- その2は即興演奏の様々なヴァイブレーションの中で音やサウンドを解放し、無意識に働きかけ、音による新しい共同体験又は目覚めへ向おうとするグループでいわゆる <メディテーション・ミュージック> <コスミック・ミュージック> の名で呼び得る方向性を持つグループであり、それはタンジェリン・ ドリームやアシュラテンプルによって代表される。
- 3つめの方向は新しい体験的なフォルムとサウンドを構造的に理念的に追及する方向で例えば現代音楽のあらゆる手法やメディアをどんどん導入しロックの根底的変転を目指すファウスト、ノイ等に代表されるものである。
これらの3つの方向が目指すのは <音楽の体験可能性の地平>を深め又ひろげ、 <音と人間との関係> への <新しい目覚め> を発見することであり、 <未知の暗い領域> を音と行為によって聞こうとする志向、合理と非合理のはざまを追求し、ロックをも超えた音楽の本質をつきつめようとする異化への運動だと言える。 表象的なロック文化がロックのフォームやシステム、直接的パワーや表現サウンドを目指すのに対しこれらの <ロックの暗流> のグループは、ロックのサウンドの意味やその作用、ロックの変容、未知のダイナミックスを目指すのである。 - ■タンジェリン・ドリームの場合
- 70年にファースト・アルバム「エレクトリック・ メディテーション」を発表するやいなや300以上もあるというドイツ・ロックのグループの中で最も実験的かつ最も重要なグループとして評価されたタンジェリン・ドリームは第二作「アルファ・ケンタウリ」によって <体験音楽(エクスペアリメント・ミュージック)> <コスミック・ミュージック> の基礎を確立し、新しい可能性の方向を開いた。 その音楽は我々の外部にではなく我々の内部へと働きかけ、我々をゆるやかで静かな、あらゆるダイナミックスや潜在的エネルギーに満ちたスペースと時間 の中へひき込んでゆくものであり、今までのどのような音楽もが持たなかった <新たな光景と地平> を現したものであった。この二作のサウンドはシンセサイザーの使い方や混在する音の流れに十分な厳密性を持たなかったが、その楽器の奏法や即興演奏の展開は極めてユニークですでに独自の時間感覚を有したものであった。その後二枚目のアルバム、第三 作の「ツァイト (時間) (72年) では数台のシンセサイザーの音のウェーブの中に完全に新しい音楽を完成するようになった。その<透明さと静けさとあ らゆるムーブメントを含む、ゆるやかな音の流れ> は我々に様々な位相の夢や体験や刺激、記憶を与え、超時的な <ひろがり> へとさそうものでもある。そしてヴァージンに入って念願のフリーな作業ができるようになって吹込んだ「フェードラ」はタンジェリン・ドリームの未知への旅の一つの到達であり、新しい宇宙の始まりと秩序への <創世紀> の一章とも言える画期的なレコードである。完全にコントロールされた三台のシンセサイザー、三台のオルガンそしてメロトロンがくりひろげるサウン ドは見えない音、聴こえない音を組織し、我々の内部の夢をつむぎ出し又 <解放された感覚のひろがり> を生み、又 <鮮やかな目覚め> となっておしよせ、潜在する様々のリズムは眠っている無意識の世界のヴェールを一枚一枚はぎとり、未知らぬ場所へと開いてゆくのである。
- ■タンジェリン・ドリームのメンバーと彼等の未来について
- 68年頃に起ったエドガー・フローゼとクラウス・シュルツという二つの才能(一方はロック出身のギタリスト一方はジャズのドラマー)の出会いがタンジェリン・ドリームとして結実するには、それなり の彼等の新しい音楽への探求とその頃の音楽状況の行きづまりという事態があった。 エドガーにとっては固定化されたロックの理念や形式の中では音楽の発展の可能性はないという認識があったし、クラウ スにとってはパワーとエネルギーを中心としたフリージャズの未来に破滅か可能性の自己閉鎖しか見れないという認識があり、そこで二人は形式やスタイルそしてあらゆるジャンル制限を超えた <新しい体験音楽> それも完全な <即興演奏> によるものをやってゆこうと決意したのであった。その結果レコーディングされたのが「エレクトリック・メディテーション」であった。そしてその後エドガーとクラウスは別れた。 エドガーは「タンジェリン・ドリーム」の理念とサウンドの厳密化とを心がける方向に、クラウス・シュルツはエレクトロニクスのメカニックな可能性をさらに追求する方向に向ったのである。それからは第二作で(71年)メンバーになったクリストフ・フランケと第三作(72年)にメンバーになったピーター・ヴァウマンによって三人のグループを完成したエドガーはさらに実験的な音楽に向うとともに<即興演奏とエレクトロニクス> の結合を高度に発展させた独自のサウンド・スペースを確立した。音に関わるあらゆる素材、システム、PA、録音技術、方法に強い関心を持つエドガーは、音の三次元的スペースを表わし得る、録音方法(バイノ ーラル)や変調器、新しいシステムのシンセサイザーを導入してさらに未知の領域へせまろうとしている。 (その最大の成果は彼のソロ・アルバム「アクア (水)」に現在見ることができる。)そしてタンジ ェリン・ドリームは最も過激でなにげない探求を続け、未来のロックに深く関わり、その音楽をさらに変容させながら、最も大きな可能性と影響力の中にあるのである。この「フェードラ」はそうしたタンジェリン・ドリームが底知れぬパワーを鮮やかに展開させたレコードであり、この10年間のあらゆるロック・レコードの中で最も重要な一枚としてあげなくてはならないと断言できる。そこには限りない宇宙がひろがっている、そして貴方がそこに入るのもまた外にいるのも自分なのだ。そして断言できること、それは「フェードラ」を聴く事が新しい体験になるであろいうということである。
- PHAEDRA イントロダクション・ノート 間章
- 資料1 エドガー・フローゼの独白
- 「私が音楽と始めてつき合ったのはクラシックでした。 私の母はそれが楽器や音楽に触れる最もノーマルな道だと考え、ピアノを習うのが良いと思った訳です。」
- 1961年、エドガーは真剣に音楽をやる事を始めた。「タンジェリン・ドリーム」というグループ名前は1967年につけられた。早い時期において彼等は殆んどにおいてロックのコンセプトを持ったグループであった。エドガーはギタリストとしてスタートしたがすぐに次のような思いにとらわれた。
- 「ジミー・ヘンドリクスとエリック・クラプトンの後でどのような事がやり残されているというのか?」このことはドラマーにおいても同じであった。
- 「スタートした時、僕達は本当に単なるロック・グループで、コンポーザーのチームではありませんでした。そして僕達は突然にロックをやることを止めたのです。完全に。その時に最も大きな影響を与えたのはリゲティ(ハンガリーの現代音楽の作品家。 トーン・クラスター構造音楽を押し進めた。代表作には「アトモスフェール」「アバンチュール」がありスタンリー・キューブリックは彼の映画作品「2001 年宇宙の旅」で大きく彼の作品をとり上げた。)でした。 僕達が彼のレコードを聞いた時、それは最も大きな影響となったのです。誰でも影響というものは重要なものだと思います。 それなくして誰も最初から全く1人のもの、オリジナルなものをやるということは出来ないでしょう。
- この突然の変異はタンジェリン・ドリームの方向性を決定づけた。ベヴィブルースバンドから完全即興演奏(トータル・インプロビゼーション)グループへと。そしてこの方向性の内にタンジェリン・ドリームがベルリンで特異な現出をしたのは1968年のことでした。
- 「リゲティーの後でも最も重要な影響といえば、それはピンク・フロイドでした。僕達は66年か67年にロンドンの近くのハイスクールで聴きました。僕はピンク・フロイドがステージで演奏して、大変興味深い現象が起り、その中でたくさんの人々が謎めいて坐っていたことを今も思い出します。でも僕達はもう決して普通のやり方では楽器を演奏しまいと思っていたのです。タンジェリン・ドリームは常に発展し続け、変容し続けていたのです。僕達にしてみれば、ピンク・フロイドの <新しい理念> というものは「ウマグマ」以来、限られたせまいものだっ たのです。彼等はいくつばかりかのアイデアに基づいておこなっていたのであってそれは動き続けているものというより何か固定されたものに思えたのです。」「貴方達人類は過去百万年の子供なのです。 貴方達はその百万年の影響の中にあるのです。そして貴方達は次の百万年の可能性を開く為に存在するのです。」「僕は発見したのです。 最も僕にとって誠実な方法とは、音楽のありとあらゆる可能性をミックスすることかも知れないということを。」「ですから僕達はクラシックのワァーグナーやべートーベン、リスト、ドビッシーからもロックと同じように様々な方法や道を見つけようとしました。そしてペンデレツキーとかシュトックハウゼンとか リゲティのような作曲家からもです。それらの事すべてがいつも <経験> なのです ---- 貴方達は自分自身の道を見い出す為にこそ <吸収> しなければならないのです。僕達は確かにロック・グループとして出発しました。しかしそれは単に音楽の最も初めのきっかけだったのです。」
- 「ツァイト(時)」というレコードをレコーディングする前に、僕達は幾人かの電子音楽作曲家と出会いました。この出会いの前には <描象的な何か > が 僕達の音楽の未来、行きつく所だと思っていました。しかしこの出会いの後で、僕は く抽象的な何か〉というものが決して僕達に適合しないということに気づいたのです。僕がエモーション(情動)を失くしたくないのと同じに、そして如んどの電子音楽においてエモーションの面が低められ軽んぜられていること、また電子機器の創作とそれによる作曲に二年も費やしているということです。そしてそれは僕をダウンさえさせました。これが僕達の くもう1つの転換点> くもう1つの出発点〉となったのです。
- タンジェリン・ドリームにおいて、僕達はエレクトロニクスを高度に形而上的な楽器として使用する ことと、普通[ノーマル]な方法で使用することを融合させることこそを目指していたのです。エレクトロニクスは音楽の一部であり得ることは出来ても、単に平凡な音響効果ではあり得ないのです。
- 「ツァイト (時)」のレコーディングは僕達が成し得た最も重要な事です。「アルファケンタウリ (ケ ンタウルス座のアルファ星)」は変換点でした。しか し「ツァイト (時)」は く方向性> そのものなのです。僕達は「ツァイト (時)」なしでは「アテム (息)」を行うことは出来なかったでしょう。
- 僕達が音楽をやる過程において、クラシカルシーンからは最も影響がありました・・・・・・。僕達はクラシカルなフィーリングを移入するための方法を見つけようと試みました。貴方達が例えばフランツ・リストやクロード・ドビッシーを聴く時、貴方達は大きなエモーションを見つけ得るはずです。僕達はこの前世紀のものを今世紀移入しようとしている。とさえ言えます。最も根源的な方法で。」
- ドイツのクリエイティヴなマイナー・レーベル、オウル(耳)レコードのプロデューサー、ロルフ・ウルリッヒ・カイザーはタンジェリン・ドリームを始めてプロデュースした人でした。「エレクトリック・メディテーション」「アルファケンタウリ」「ツァイト」「アテム」の4枚のレコードがここでリリースされました。
- しかしこのカイザーという人は彼のかかえているグループをプロモートすることよりも自分自身を プロモートすることにだけ気をつかい、自分のビジネスの拡大とグループに専制することに一生懸命だった。タンジェリン・ドリームに関しても日本やイギリス、アメリカから彼等のレコードを発売したい又はレコーディングしたいという申し込みが多数あったのに、カイザーはそれを全てはねのけたのです。ロスアンゼルスのプラネタリウムが「SF会議 (イヴェント)」への
- タンジェリン・ドリームの招来があった時も、カイザーは彼のプロダクションのグループ全部を出さなければタンジェリン・ドリームも出さないというわがままな理由でそれを拒否してしまいました。
- タンジェリン・ドリームは彼のドル箱的存在でしたが、カイザーのマネージングのパーセンテージが低かったその為に、タンジェリン・ドリームはいつ も不等なあつかいを受けていたのです。
- 73年の夏エドガー・フローゼは気づいたのだった。「僕達のグループが可能な発展をし存在してゆく為の唯一の可能性は、商業的なそくばくをこわすことである。企業的な制約を終えるか、音楽そのものがだめになるか - それ以外の道は無かったのです。」カイザーの怒りをよそにそしてタンジェリン・ドリームはヴァージン・レコードと10月に契約した。ヴァージンにタンジェリンが移る以前にも、ヴァージンは輸入したタンジェリン・ドリームのレコードを2万枚以上売っていた。それはもし英国で完璧なリリースが行なわれた場合にピンク・フロイドの「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン (狂気)」やマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」以上のセールスをあげられたかもしれないのです。
- 「僕達はシンセサイザーのぎりぎりの限界まで、常にノーマルな楽器のサウンドを変化させてゆくのです。」「ロック・グループとしてやっていた時、僕達は音を最大に上げてサウンドとリズムを築きながらもついにはリズムがこわれてゆく事を見続けて来ました。70年になってからはもうその種の音楽が聴くにたえないものになりました。そのような音楽はもう終ってしまったのです。 リズムの長い長い不在 が僕達にやって来たのです。 それからというもの僕達はリズムを作り出す くもう1つの方法> を常に探し求めて来たのです。 ロックの外側の中にです。そして僕達はついに〈シンセサイザー・リズム> というものを見つけたのです。この〈シンセサイザー・ リズム> がどんなものであるかは、僕達の新しいア ルバム「フエードラ」で一番良く見ることが出来ると思います。」
- 資料2 タンジェリン・ドリームの未来の計画
- タンジェリン・ドリームはいま最も創造的であると思われる計画を用意している。一つには「オェディプス・テイラタス」プロダクションのチチェスター・フェスティヴァルというイヴェントに参加することであり、一つには新しいヴァージン第二弾の二枚組のレコードを制作することである。「オェディプス・テイラタス」のイヴェントはキース・ミッチェルとエドガーとの出会いの中で計画されたもので、それはその大きさではなくて内容又は質の変容さにおいて今世紀で
- 最も重要なイヴェントの一つとなり得るものかも知れないものである。
- 新しいレコーディング計画はヴァージンで最近リリースされた、エドガー・フローゼの「アクア(水)」というソロアルバムをベースにしたより発展的重要なアルバムとなるものである。エドガーは「アクア(水)」においてレコーディングにおける人間の聴覚のモデルを通しての新しいレコーディングのためのバイノーラルを研究し、「人工的耳」にあたるマイ クロフォンの導入から、ヘッドフォンを使用するとまるで外ではなく頭脳の内側で音が生起するようなシステムを作り上げた。エドガーによればこのレコーディングの可能性を大きく広げるであろうシステムによって、タンジェリン・ドリームは直接頭脳へメッセージを伝え得る新たな地平を切り開くだろうという事である。新しい二枚組になるだろうレコードはこのシステムを導入しながら現在制作中である。
- 資料3 タンジェリン・ドリーム・ディスコグラフィ
- 「エレクトリック・メディテーション」
- (Ohr OMM 556004 東芝) 1970
- ●エドガフローゼ = 6弦、 12弦ギター、 オルガン、ピアノ
- ●クラウス・シュルツ=ドラム、パーカッション
- ●コニー・シュニッツラー=セロ、フルート、セカンド・ギター
- 「アルファ・ケンタウリ」
- (Ohr OMM 556012) 1971
- ●エドガー・フローゼ=ギター、グリス・ベース、 オルガン、ヴォイス、コーヒーマシーン
- ●クリストフ・フランケ=パーカッション、ロトス・ フルート、ピアノ、ハープ、 ツァイザー
- ・シンセサイザー
- ●ステーブシュロイダー=オルガン、ヴォイス、エコー・マシーン スティール・バー
- 「ツァイト (時)」 (ダブルアルバム)
- (Ohr OMM 2/56021) 1972
- ●エドガー・フローゼ=グリス・ギター、ジェネレーター
- ●クリストフ・フランケ=Vcs3 シンセサイザー、 シンバル、キーボード
- ●ペーター・バァーウマン=Vcs3 シンセサイザー、 オルガン、ヴィブラフォン
- ゲスト=スティーブ・シュロイダー、フロリアン・ フライアー+チェリスト
- 「アテム(息)」
- (Ohr OMM 556031) 1973
- ●エドガー・フローゼ=メロトロン、ギター、 オル
- ガン、ヴォイス
- ●ペーター・バァーウマン=オルガス、Vcs3 シンセサイザー、ピアノ
- ●クリストフ・フランケ=オルガン、Vcs3シンセサイザー、パーカッション、ヴォイス
- 「ウルティマ・タウル」 シングル 1972
- 「フェードラ」(ヴァージン」 1974
- ●エドガー・フローゼ
- ●ペーター・バァーウマン
- ●クリストフ・フランケ
- 「アクア(水)」
エドガー・フローゼ・ソロ・アルバム