NHKニュースによると、札幌地下鉄は大晦日から元日にかけての終夜運転をしないことにしたらしい。終夜運転取り止めはストライキがあった○○年以来、とのことだったが、この「○○年」の所を聞き洩らした。でも、おそらく30年以上ぶりくらいだろう。年末ストライキの記憶じゃないが、自分も臨時職員をしている時、ストライキの影響を受けた。臨時職員といえど、一般職員扱いだったので、職場へは入れず、ほかの職員と一緒に近くの喫茶店へ入ってマンガなどを読んで過ごした。そしてスト解除となったら職場へ戻るというものだった。この時は午前中一杯ストの予定だったが、1時間ちょっとでストは中止になってしまった。「なんだ、もう少し休んで居たかったなぁ。労組はもう少し頑張れや!」とか思いながらだらだらと職場へ戻ったのを覚えている。
それはともかく、大晦日の終夜運転について、いや、年末年始の風習について、かの文豪、内田百閒先生が『百鬼園日記帖』の中で一筆苦言を呈し、文明批評している文章があるのでここにご紹介しよう。
六十五 (大正7年1月2日夜)より
「新年は社会の病気である。十二月の末になると俄に世の中が騒がしく忙しく慌しくなつて人が無暗に往来を歩き廻り、電車が矢鱈に人を積み込む。郵便が東京丈で何千萬枚とかに達したといふのは馬鹿馬鹿しい。まるで世の中の動悸が高まつて脈搏が早くなつたと同じ事である。元日になる夜は電車が夜通し運転するのは可笑しい。さうして置いて元日になるとぱたりと其活動が止まって商店が商売を休んだり人が又無暗に山高帽をきてのそのそ道を歩く、これは社会活動の結滞である。常態に復るには一週間も十日もかかる。来年から正月がなければいい。平和な平日の方が正月元旦よりどの位おめでたいかわからない。私丈でも年賀はがきを九十枚書かされて、昨年半日よその家の玄関をのぞいて歩き廻つたのはいまいましい。」
まあ、文明批評というよりは、ただ年賀状を書かされたことへの恨み言、ぼやき、と言った方が近い気がするけれど。