ベルボトムといえば、ジーンズ。ベルボトム・ジーンズといえば、レッド・ツェッペリン というイメージがある。この写真でのロバート・プラントの裾の広がり方は凄まじいともいえる。ま、それはともかく。
僕らの時代のミュージシャンはほとんどがベルボトム・ジーンズを着用していた。自分たちなんかもご多聞に漏れず穿いた。初期の頃はベルボトム・ジーンズというより、ラッパズボンと言った方が早かったかも知れない。自分が中学時代の頃だ。そして、これはポピュラーなことではなかったかも知れないがラッパズボンをはいた人たちをラッパーズ、なんて呼んでたりもした。まさか後年、違った意味で使われるとは思ってもいなかったが。
中学の頃は海外ミュージシャンより日本のフォーク・シンガーのほうが馴染みが深かった。ラッパーズといえば、吉田たくろうや井上陽水なんかを思い浮かべた。そして、ラッパズボンが普通に近所の洋品屋で売られるようになり、おふくろが買ってくるようになって、自分も穿くようになった。ただし、この頃はラッパ一色な時代ではなかった。ヨーロピアン・カジュアル。特に「JUN」なんかが好きな人達もいて、こういう人たちはラッパーズにはならなかった気がする。ただ、しょせんは金のない中学生。せいぜい身に着けられるのは靴下位のものだったと思うけれど。あとは数はもっと少なかったが、IVYの「VAN」派が居た。彼らは絶対ラッパーズにはならなかった。金持ちが多かったような気がする。
自分は高校3年位までおシャレには無頓着で、母親が買ってきたものをそのまま着ることが多かった。だから素直に、というか何も考えずにラッパーズになっていた。
時代に変革がもたらされたのは、1977年。高3の終わりから大学1年の頃、パンク・ムーヴメントが吹き荒れ、ラッパとは逆のスリムなズボンが流行り出した。自分は大学に入って色気付いたのもあり、少しファッションにも気が行くようになっていた。母親は相変わらずラッパズボンを買って来たが、自分はだんだんそれを穿くのに抵抗感を持つようになって来て、大学1年の秋位にはラッパーズを卒業した。
しかし今から26年前。プライマル・スクリームが70年代風ロックに乗ってベルボトムで再登場したのには驚いた。最初はパロディかと思ったが、どうもそうではないらしく、巷でもラッパズボンを穿く若者をちらほら見かけるようになり、現在に至っている。今は自分の若い頃とは違い、価値観多様化の時代なので、だから古いファッションも復活するし、プログレも再評価されるのだなぁ。だからといってまたラッパーズに戻ろうとは思わないけれど、ココロのどこかで、今のラッパーズに拍手を送っているような気もする。