自分をコレクターだなんて思ってはいない。コレクターと云える人たちは、それはものすごい知識を持ち、モノスゴイ数を所有している。その物を得るためには海外旅行も厭わない。そういう人たちがコレクターなのであって、自分のように偏った少ない知識しか持ち合わせず、自分の生活圏内で入手するしかない。強いて言っても、ヤフオクとかアマゾンをたま~に使う程度の中途半端な人間なので、コレクターなんてとてもとても、という訳である。とにかく上には上が居る、と言う世界である。
 であるから、コレクターなんて言える物ではない自分ではあるが、それでも、LPレコードはおそらく数千枚。その内自分が好きでたまらない、手放したくない、というアルバムは、数えたことはないのだけれど、4~500枚程度はあるだろうか。それにCDはおそらくこれにちょい足しした程度、つまりは5~600枚位はあるかな。シングル(EP)盤を所有したいという願望はあまり湧かなかったので、その点では資金的には幸いだったといえる。これ以外にカセットテープ、DAT、DVD類もあるが、これらはまた別にして・・・。

 その上、本類がある。これはシュルリアリスム系の小説や文献が多いけれど、画集や写真集なんかも含まれるから、これも嵩張るものだ。写真集の中にはもちろん、むふふ、なブツも含まれる。雑誌類なんかは、ムフフ、のオンパレードである。あんまり調べたことはないが、どうやらプレミアがついて居る物もあるらしい。なんたって1970年代から保存しているものだから、そういうものも自然と含まれるのだ。
 当然生活の足しに売り払ったものもある。レコードなんかは、その時は、もうよいと思って売ってしまっても、後になってその”良さ”が分かることも少なくなく、買い戻したいという衝動に駆られる。一時はCDで入手できた物はアナログは手放すと決めて売ってしまって居たが、やはりジャケットの大きさ、アナログのサウンドと味わいは恋しく、途中で売ることをやめてしまった。そうしていたら、自分と同様の感情を持つ多くの人々がいたのだろう。近年はアナログ・ブームになってしまった。
 そんなこんなをしているので、だから、家の中は片付かず、いやむしろ、所有物は宇宙同様肥大化し続けていて、家族からは「床が落ちる」と恐れられている。2年前の北海道胆振東部地震では被害は一切なく(家のまあまあなグラス類は随分と砕け散ったが)、床が落ちることもなかったが、ますます肩身の狭い身分に陥りつつあるのは言うまでもない。
 そんな中、突然の発病で棺桶に片足を突っ込むことになり、退院後家人から「収集物を何とかせい。棺桶には入れられないし、あの世に持ってもいけないのだから。」と諭される機会が増えて来た。だからという訳ではないが、余り思い入れのない物については売りに出しているが、少~ぉ~しずつ目減りはしていると思うが、ある日ある時買い足してしまったりすることがあるので、本当に減っているかどうかは微妙な状況で・・・。
 そこで自分は、ここの棚のレコードは誰の店へ、その他とCDはどこそこの店、これとこれのレコードは棺の中へ。この棚の本はあそこの店。あの棚は彼の店。雑誌はここへ。その他は・・・。と家人に伝えるも、「あ~、メンドくさい。みんなブックオフへ売り払うからいい!」と豪語する。それぢゃダメ、二足三文にしかならないよ。と言っても聞かない。「そん時どーせあんたはもう居ないんだから、いいじゃない。残ったものを私がどうしようがさ。」と脅しとも取れる言い方をする。それに対し、自分はもう黙るしかないのだが。

  いや、自分も分かっているのです。これだけのブツを死後残されたって困るという事は。それに、もしかしたら、あの世にも同じモノがあるかもしれないし。そうなったら、あの世で楽しめばいい訳だし。と思ったりもするのだが、やはり、どうしても、自分が本当に好きなものは手放せないものなのでありマスよ。