民族共生象徴空間「ウポポイ」が7月19日開業と決まったので、その記念に今日はこの映画を紹介したい。
 『森と湖のまつり』。監督は内田吐夢。純血のアイヌであることに誇りを持つ一太郎役は高倉健。恋人(?)役はアイヌを研究する大学教授の知り合いの画家香川京子

 アイヌであるのに和人の振りをしてむむしろアイヌ差別をしている大岩猛役は三國連太郎。和人のアイヌへの差別意識というものが根底にありつつ、ここではアイヌを誇りとして生きようとする者と、アイヌを隠して生きようとする者との対立を描いてゐる。そして、撮影当時、原始のままの北海道の大自然が美しい映画(カラー)でもある。
 

 ここで根底にあると書いたアイヌへの差別意識。今もあるかと問われたら、和人の子孫の自分としては「わからない」と答えるしかない。逃げているのではない。自分は生まれてこの方、アイヌと接したことがない。だから、自分は差別したことはないし、目撃したこともない。白老のあたりにアイヌの人たちの集落があるのだろう位に漠然と考えたことがある位だからわからないとしか言えない。ただ、今アイヌの人と出会えたとして、自分は普通に他の人と接するように接するだけである。差別なんかしないし、する意味がない。だいたい、自分のようにいじめを経験した人間が、いじめに似た構造を持つ”差別意識”には嫌悪感を持つだけである。

 アイヌ文化はきちんと伝承するべき素晴らしいものであるから、ウポポイが出来たことは喜ばしい。きちんと正しいことを伝えて行ってほしい。
 しかしながら、アイヌは先住民族ではない。最新の研究では、アイヌが日本列島に登場してくるのはどんなに遡っても鎌倉時代初期であるという。自分も疑問に思って居た。アイヌが先住民族であるなら、ストーン・サークルなどを作った人々と繋がりが認められなければならない。アイヌに文字はないというが、手宮洞窟なんかには古代文字なんていうのも存在する。或いは縄文時代人の文化を継承した人々でなければならない筈だからだ。今現在アイヌを「先住民族」と規定してしまっているが、これはわれわれの無知と無関心によるものなのだ。大いに反省すべきことだと思う。

 なんか映画の話から逸れてしまった。アイヌ関連のイベントに朝鮮総連がからんでいたり、和人とアイヌの対立構造にして加害者と被害者を作り出し、補償うんぬんに持って行こうと画策している人がいたり、アイヌの規定があいまいで、今は血筋がそれなりあって立候補すればアイヌになれるそうで、アイヌはいろんな地域から移って来た人々の集まりで、言葉もそれぞれ違うのに、それらの言葉を混交してさながらエスペラント語のような新しい言語を作り出そうとしている人がいたり、元アイヌ協会の関係者が公金を使い込んで未だに返却していないなど、アイヌ周辺は不穏なことが多すぎて非常に心配なのだけれど、それでも、中学時代に「アイヌ神謡集」に触れて感動した一人の日本人として、偽りのない文化を守り、伝えて行ってほしいと切に願う今日の頃でアリマス。
 あっ、ちなみにこの映画、自分の誕生日に公開されたものなのですね。くわばらくわばら(ナヌッ)。