さて、いよいよ"コンポ"の時代に入る。自分が高校に入るか入らないか位の時、オーディオに技術革新が進み、今まで以上の性能の良いものが低価格で入手できるようになった。そして、それはメーカーがプレイヤー、チューナー、アンプ、スピーカーをひとつの"組"として一体で作りだしたものではなく、各個個別に開発されたものを、買い手の我々がチョイスするという時代ともなった。
我が家には数年前に購入したトリオのセパレート・ステレオがあったが、これは自分にとってはもはや魅力のないものとなっていた。早く自分自身が個別に選んだ“コンポ”を組みたい。その一心でFM誌やオーディオ・カタログを睨んだ。そして、自分の眼鏡に叶ったプレイヤーはパイオニアのPL-1150だった。 ホールモーターを採用したダイレクトドライブ・レコード・プレイヤーで、本格的 S字型トーンアームを採用したものが当時4万を切るというのは画期的なことだった。もうこれしかないと自分には思えた。ただ、高校生の自分はお金がない。お年玉や月々の小遣い、昼食代を切りつめてもこのプレイヤーひとつ購入することはできない。そこで、近所にあった倉庫のおっちゃんに頼み込んで週末の都合の良い時にアルバイトをさせてもらうことにした。今思うとかなり強引だったが、おおらかな時代と高度成長期日本のおかげで割りの良い仕事を得ることが出来、コレのおかげでプレイヤーを購入する金額は貯めることが出来た。そして自分はひとり中心街の大阪屋へ向かった。当時も今も札幌でオーディオといえばココという専門店だった。正直少し気位が高く、なかなかに敷居の高い場所だったが、先に述べた「ソニー・スカイセンサー」を買ったお店ということもあり、さほど気後れすることはなかった。そこで顔見知りとなってゐた店員に相談したところ、このプレイヤーは値段と性能のバランスがよい「ベストチョイス」だと言われ、その気になった。この時他のオーディオについては一切話さなかった。話したら他も買わなければならなくなるかも知れない。でも、今はプレイヤーしか買うお金がない。だから、店員から話題を振られても適当にはぐらかし、誤魔化した。ちなみにここはあまり値引きはしない。その代りアフターサービスがよいと言われていた。それは後日明らかとなったが、そのことは少し後に語ろう。
「でも、プレイヤーひとつを買っても音は出せないじゃないか!」と思うでしょう。そりゃの通り。でも、自分にはある作戦があった。それは親爺の好奇心に付け込むことだった。親爺はいわゆる“ステレオ”機器と、それらを弄ることに興味があることは分かって居たので、そこを突こうと思ったのだ。
と、ここで大阪屋のアフターサービスについて触れて今日は終わりにしておこうと思う。
プレイヤーを買った半年後か1年後くらいか、大阪屋の店員から連絡が来て、「何か不都合はありませんか?」という。「ちょっと音が固く感じるんですが。」みたいなことを言っちゃったと思う。すると無料で見に来るという。相手の思うツボという気もしたが、その時は“作戦”が成功してコンポ一式を揃えていたので、強引な売り込みはできないだろうと踏んでのことでもあった。ある日の夕食後、店員は二人一組でやってきた。自分の部屋に招き入れ、早速プレイヤーを見せると、二人はちょっと見て「針圧があってないんじゃないかなぁ。」といいつつ、トーン・アームのゼロバランスの正しい仕方を教えてくれつつ、適正針圧にしてくれた。高音が伸びやかになり、サウンド全体がやや柔らかく感じられるようになった。店員たちは長居することなく帰って行ったが、自分はよいことを教えてもらったと今でも感謝している。