今の自分には左胸に小さな瘤がある。左乳首のすぐ上の少し中心寄り。普段は分からないが、横になった時あおむけで、その部分に手を当てると何となくツッパリを感じる。肋骨と肺の間にちょっとしたものがあるなと思える。左に向いて寝ると、より存在を感じる。ああ、ここにあるのだなと実感する。別に痛かったり痒かったりはしない。ただ、存在感は仰向けより強くなる。そのまま眠れたら眠るが、たいていの場合は仰向けか右向きに直って寝なおすこととなる。左向きで感じる存在感が嫌で、というより、入院後に発症した左肩の痛みのせいだ。左向きに寝ると、ほぼ痛みが出て左に向いたままでは居られなくなる。眠っている時、無意識に左向きになり、肩の痛みで起こされることがある。だから、ほとんど今は左向きで眠らない。
 この左肩の痛み。原因は不明なのだけれど、何となく心当たりがあるような気もしている。入院三日目位、昏睡から一時的に目覚めた自分は沢山のチューブに繋がって居る己が姿に驚いたのだろう、チューブを全てひきちぎってベットの脇に降り、「俺はもう帰る!」と叫んだそうだ。
 当然看護士が数人飛んできて押さえつけ、チューブをつけ直した上、両手には牛革性ミトン(親指以外は繋がって居る手袋。北國では”ぼっこ手袋”という。)を穿かせて指先の自由を封じ、両手をベット脇の手すりに紐で縛り付けて腕の自由を奪うこととなった。
 自分はこの拘束が左肩の痛み(五十肩?)の原因だろうと思って居る。
 そして、不思議なもので、この拘束は朦朧と眠って居る時の夢にも影響を与えていた。1週間以上眠り続けていた自分はこの時いろんな夢を見て居た。これが普段の夢だったらすぐ忘れることが多いのに、前後不覚で眠って居た時の夢は何故か今でもよく覚えて居るというのが不思議だ。この時見た夢は壮大に続いてゐて、それなりに面白いのだが、前後に脈絡がないので、物語として語るのには辛い物があろうかと思うので、これは繋ぎに創作を加えていつか書けられたらいいと思って居る。そんな夢の中にはいつも動きたいのに動けない自分がいる。これこそ現実の状況が夢に影響するという何よりの証拠なのだろうと思う。
 後に妻が「あんなに暴れなかったら拘束なんかされずに済んだのに。」と言ったが、そんなこと言われても自分自身ですら、自覚のない行動だったのだから、しゃあないじゃないか、としか返せなかった。
 まあ、それはともかく、十数日の昏睡状態から目覚めた自分は夢と現実の区別ができない状況が暫く続いたが、それでもチューブを引きちぎるようなことはしなくなっていたので、ミトンと拘束は外され、ベット上の自由は確保された。その後は軽い肺炎を併発してしまい、微熱が続いたが、体の回復に大きな影響はなかったようだ。ただ、鼻の不調には参った。ただでさえ冬期に悪化する副鼻腔炎が更に悪化し、鼻が詰まって鼻呼吸が非常にしにくくなった。肺炎を治療するために使われた呼吸治療装置がきちんと鼻呼吸していないと警報音を鳴らすので、自分はもちろん、同室の仲間にも迷惑をかけるので、これには非常に閉口した。この機械は数週間は使われ、退院少し前までベッドの横に置かれていて、自分にとっては脅威となっていた。鼻の治療も入院中にしておけばよかったなぁ。そうしたら、もう少し呼吸器が使われる機会は少なかっただろうに、と今になって思う。
 ただ、これのおかげで肺炎の方は大分良くなったのだと思う。呼吸が軽くなり、退院にこぎつけた。実は微熱の方は退院時も続いてゐたが、それはもう慣れみたいになってゐたこともあり、自分も病院側も押し切った形だったが、退院後も熱が上がって具合が悪くなるようなことはなかったので正解だったと思う。正直に言うと、退院後は体温測定はしなかった。熱が上がって再入院、なんてことは嫌だったし、体の調子は悪くなかったから、そのまま通したのだ。もちろん妻は退院直前まで微熱があったことは知らない。知らせたら絶対うるさかっただろうから黙っていた。 今も体温測定は全くしていないが、まあ、平熱なんだと思う。