自分が倒れた時の顛末は先に掲載したが、これからはもし倒れた場所が違って居たらという観点で語って見ようと思うが、その前に自分の症状はどうだったのか、そして今はどうなのかをまず書いてみよう。
 自分が倒れたのは10月下旬の午後6時40分位から7時の間。病院に運び込まれたのが午後7時過ぎ位か。当然自分に記憶はなく、後から病院関係者や妻などから聞いたことである。
 病院に到着し、治療が進められていた午後8時過ぎ、家に病院から電話が来た。それに出た妻は「予断を許さない厳しい状況」を告げられ、病院へ向かった。到着したのは午後9時頃、集中治療室に複数のチューブを付けられ瀕死の自分がいた。「予断を許さない状態」「今夜が山」ということを何度も言われながら、この夜は病院に泊まり込んだ。
 夜が明けて、少しほっとした妻だったが、担当看護士に「まだまだ危ない」と言われ、再び緊張の時間を過ごすこととなる。その日の夕方になり、主治医に呼ばれ、「とりあず今の危機は脱した」ことを告げられた。破裂しそうになっていた動脈は踏みとどまり、細いながらも新たな通路が自然に形成され、手術せずとも血流は確保され、動脈の破裂を免れた訳だった。しかしこれも安定したものではなく、これからも瘤が成長する可能性が高く、「このまま順調に回復して退院できるとは考えないでほしい」とまで言われた。
 しかし、容体は安定してきていたので、その夜は帰ることができた。

 ここで後に聞いた自分の状況を書いておこう。この時自分には2つのラッキーがあった。ひとつは倒れた時に店舗店員の機転で素早い対応ができていたこと。もうひとつは病状の内容そのもについて。

 動脈に瘤ができた場合、ある程度の大きさになってしまうと、破裂する前に手術をしなければならない。自分の場合、その大きさになる直前に瘤の成長が止まり、結果的に手術をしなくても済んだことだ。この手術自体が非常に危険であるだけでなく、手術後かなりの確率で身体に障害がでるのだそうで、自分はその寸前でラッキーにも踏みとどまった訳だ。
 もちろん。今後も症状は悪化する可能性があるので、日々瘤が成長しないよう細心の注意をしながら生活していかなければならない。高血圧対策の薬の服用は必須である。
 その上、長い入院生活で衰えた体力の回復。手指のマヒや痛みのリハビリ。左肩に発生した強い痛み(五十肩?)。急激に悪化した副鼻腔炎。そして徐々に悪化していると感じる味覚障害との戦いがある。どれもこれも長い時間が必要なようである。

                             [つづく]