混沌といふ言葉さへ整頓されている感じのする我が事務所だったので、暑さが南に下がった今日この頃、やっと重い腰を上げて本格的な模様替えを始めた。とはいふものの、モノが有り過ぎる室内は、一か所整理するのに、数か所が満杯になるといふ状況で、あっち立てればこちらが立たず、的な状況となっておって、本当は昨日一日で完了する筈の模様替えも今現在まで続いている。今はほんの少し区切りがついたので、とりあえずひと休みとなりこれを書いているといふ次第。
しかしその、真実整理整頓ができる人は、いわゆる今はやりの断捨離ができる人であり、自分のような物を捨てられない人間にはしょせん無理な事なのだと思わざるを得ない。所詮は自分の持っている物を右から左に移動するだけのことでしかないからである。
そんな訳で(て、どんな訳だ?と自分にツッコミを入れたくなる)、断捨離できない人間が陥りやすい、見つけたもの、出てきたものに興味を惹かれ回顧の時間を浪費するといふ状況となった。出てきたものはいろいろある。本・雑誌・レコード・CD・小物そして、カセットテープ。そう、今回はカセットテープについて自虐的に述べてみたい。
ビールの詰め合わせが入っていた段ボール箱に整然と並べられたカセットテープ。もちろんこれは所有するカセットテープのほんの一部である。全貌は今となっては攫み切れない。何せこれ位の箱に何箱も入れて押し入れや納戸や物置やガレージに分配してしまったため、もうどーにもならんのである。「そんなんだったら、さっさと捨てちゃえばいいべさ」と言われそうであるが、そこは断捨離できぬ底知れぬ煩悩の持ち主、思い出深い品物故、やはり無理なのである。なんの思い出かといふと、言わずもがな、このカセットを購入したり、使用したり、保存したりした時の“思い出しちゅえいしょん”といふものであらう。
当時の自分はとにかくカセットを買った。買いまくった。最初はFMエアチェックをしたいが故である。自分が高校生の頃は、アルバム1枚丸まる放送してくれていたので、小遣いの少ない学生にとってはありがたやありがたやな時代であった。ただし、ここにあるカセットテープはむしろレコードからの録音ものが多いようだ。友人から借りたものが一番だが、当時自分が買ったレコードをすぐカセットに録音したものも多い。それにはレコードと針の減りを避けるという目的があった。当時同じようにしていた人は結構多かったように思う。自分は本当はオープンリール・デッキでそれをやりたかったのだが、オープンリール・デッキは本体もテープも高かったので断念した。そちらに力を注げば、当然レコードが買えなくなる。当時オープンリールのテープ1本はレコード1枚と同じかより高かったと記憶している。ただし、オープンリール・デッキでFMを流し録りしといて、後に気に入った部分を抽出してカセットにダビングするということが、余り音質を劣化させることなく行えるということが自分にとっては大きなメリットとして映っていた。今のようなデジタル時代では考えられないことだろうが、当時、これは大きな利点であった。だからオープンリール・デッキへの憧れは、大学生になっても続いたのである。しかしその熱が冷めたのは、FM番組の内容の変化であった。アルバム全曲がオンエアされることはほぼほぼ無くなり、A面だけの放送とか、其の内、せいぜいが2~4曲だけのオンエアという風に変化していった。これは著作権の問題とか、全曲オンエアとアルバム・セールスの関係性とかが問題となったりしたものだろうと思う。其の上、増えつつあったレコードレンタル屋が、アルバム紹介の役回りを担いつつあったといふこともあろうかと思う。まあとにかく、こんなこと等により、オープンリール・デッキへの気持ちは先細りとなって行った訳である。
しかしカセットデッキについては違った。エアチェック熱は醒めつつあったが、その代わり別の目的でダビングする必要性があったのである。いわゆる宅録による自身の曲の作成である。自室にカセットデッキ2台とミキサーを繋いでピンポン録音をし、楽曲を作り上げてゆくということをしていた自分はその第一世代といへる。つまりは元祖オタクの時代の人間だと自負できる。オタクを自慢しているのではない。ただ、その今に及ぶその存在の始まりの時代に自分は間違いなく居たということを確認したいだけなのである。とまれ、こういうこともあって、カセットテープの消費量は自分に限っては減ることは当面なかった。そのころ急速に機能が充実し、値段も下がって行った「ウォークマン」の存在も無視はできない所だろう。「ウォークマン」についても自分は第一世代で、“初号機”は高くて買えなかったものの、金持ちの友人から1週間借りて使い「これはいい!絶対ブームになるだろう!」と確信した世代でもある。
と、やや脱線気味のきらいもあるが、要するに自分の持つカセットテープは増え続けていたのである。
そしてこのカセットテープ、途中から自分なりのカスタマイズをしたくなってきた。最初はFM雑誌に付いていたカセットレーベル(リンク先。私と同じような方がいらっしゃったのですね。いや、わたしよりず~っと上品でセンスありですが。「 一番のお気に入り と書かれている写真。わかりますよ。コレ。月刊PLAYBOY日本版の表紙になった女性の写真ですね。)これを切り取ってカセット・ケースに入れた。これがコトの始まりであった。其の内自分のスケベゴコロをここに反映させようと思い立った訳である。つまり、手元にある雑誌などからカセットの大きさに合うページをくり切り抜いてカセットレーベルにしてしまおうという、そして、まさに自分だけのカセットテープを作り上げようといふ煩悩豊富な考えである。こ~なったら自分はもう止まらない。自分が所有するエロ本などの雑誌を片っ端から確認し、切り抜くといふ作業が始まった。其の内、店頭で立ち読みしていて、これは使える大きさの写真だと思ってしまうと、もう其のためだけに購入。もし気に入った企画や写真のある本だったら、保存用にもう1冊購入してしまうという浅ましさであった。以下の写真がその一部である。
写真を見ただけで甦る雑誌の名前。「平凡パンチ」「週刊プレイボーイ」「プレイボーイ日本版」「PENTHOUSE」「PLAYBOY」「スコラ」「GORO」「Mr.DANDY」「TARGET」「DICK」その他もろもろの雑誌たち。いや、膨大な時間と体力を消費したであらうこの情熱はどこから来たのか、そしてどこへ行ったのか?。今となっては自分自身でもわからない。一体ナンダッタノダロウ?と疑問符ばかりである。といふか、なんでワザワザこんな恥ずいものを公開しようと思うのか、今現在の自分もようわからん。いわゆる完全な自虐であらう。ただ、今回掲載したかったブツは本当はコレ等ではなかった。月刊プレイボーイ(日本版)に毎号載ってたプレイメイトのカレンダー。あれを8等分か12等分かして作ったブツがあったはずなのだが、今回見つからなかったのである。そのプレイメイトの名前は「ローラ・ミッシュ」と「フライング・メシナ・ミラー」であった。こんなことは忘れないといふ自分は本当に何なのダロウ?熊太郎。 いや、何でもない。・・・とにかく、その「ローラ・ミッシュ」と「フライング・メシナ・ミラー」を見つけたらこのブログに掲載するからその積りで。