エンニオ・モリコーネは世紀の問題作にも曲提供をしている。ピエル・パオロ・パゾリーニの『ソドムの市』である。この作品は少なくとも二つの意味で問題作とされる。ひとつは倫理的な問題から。もうひとつはパゾリーニの「死」に関連されるのではという憶測から。
倫理の問題はあまりに明らか過ぎるのでここでは語らない。パゾリーニの死については少しだけ。映画が撮影完了してすぐの1975年11月、激しく暴行された上、車で轢かれたパゾリーニの死体が発見される。そしてほどなく本作に出演していた少年が逮捕される。少年は殺害の動機はパゾリーニに性的暴行を受けたため、殺害したというものだった。しかし、死体の損壊がひどいので当初から少年一人での殺害はあり得ないという憶測は飛んでいた。今も真相は謎のままだが、かの少年は10年位前、パゾリーニはファシストに殺された旨を告白。自身は脅迫されていたとのことだった。ちなみに『ソドムの市』は、第二次大戦末期のイタリアのファシストが主人公の映画である。
 話は音楽から大分ずれたが、このテーマ。まるで中世宗教音楽の世界である。このような陰影の深い曲もモリコーネは作って居るのだ。さすがである。
 本当がどうか知らないが、パゾリーニはモリコーネに曲を依頼した時、本作の内容を一切見せなかったという。モリコーネは残虐描写が苦手だと知って居たからだという。だからモリコーネは今でもパゾリーニへの尊崇の念はいささかも衰えないそうだ。(それじゃあ、セルジオ・レオーネへの気持ちはどうなのだろう?と疑問を抱いてしまうが・・・」


 自分は公開時に本作は見て居ない。確か前作の「 アラビアンナイト 」を名画座で見てそのボカシの多さに辟易してしまい、「この作品はもっとすごいボカシにちがいない」と思ってゐた。結局きちんと見たのは十数年前位である。一応ボカシも大分抑えられていたが、1回目は「なんだ、こんなもんか」と思った。すでにいろいろと過激なポルノなどを見て居たからかもしれない。ぐっと琴線に触れたのは澁澤瀧彦訳の原作を読み終えてから改めてDVD鑑賞した数年前である。そして改めてパゾリーニの凄さを知った気がしたのである。

 本作には少年を「愛す」ためには手段を厭わない教師(♂)が出て来るが、自分は彼はパゾリーニの分身だと思ってゐる。パゾリーニも教師で、同性愛を疑われ職を解かれた経験があるからである。

 

 オープニングのこの曲は、戦前のキャバレーなどで流れていたような陽気で軽く、そして少し物悲しい雰囲気を醸し出している。エンニオ・モリコーネが一番得意とするところではないかと自分は思ってゐる。