昨日の朝からこの曲が頭の中をループしている。しかもこの曲の2:35位で音飛びをして少しもとへ戻る。ああ、脳みそがそんなことを覚えているのか、と少し驚く。
このアルバムは中学の終わりか高校1年の頃に特に多く聞いた。当時我が家にはTRIOのセパレート・ステレ オがあった。当時流行った木製の大きなもので、17~8万円はしたものだが、自分はその音質が気に入って居なかった。ヴォーカルを中心とした中音域は良く出るのだが、高・低音が引っ込み、特に低音はもこもことしたサウンドで、自分が好きな楽器:ベースの音の切れ味が悪かったからだ。
それに加えて自分の愛聴盤:ピンク・フロイドのおせっかい (Meddle)のA面4曲目「サントロペ」が途中で音飛びを起こすのだ。盤を見ても傷ひとつないし、歪みも裸眼でほんの少し確認できる程度。でもこのオーディオでプレイすると同じ所:2分35秒のあたり、リック・ライトのピアノ・ソロで音飛びし、たどたどしく少しもとへ戻ってしまう。調子の良い時には先へ進んでくれるが、だいたい十中八九はダメ。いつもこの辺りになるとドキドキしながら聴いてゐたものだ。
いろいろ調べて針圧が原因なのではと思い至り、アームを調べてみると、ねじを緩めて適当にずらすだけの装置が付いてゐると知り、一気に我が家のオーディオに不信感が募った。今から思うと自分のオーディオ熱はこれがきっかけともいえる。
折しも当時はオーディオの性能飛躍の著しい頃で、コストパフォーマンスも上がって来た時期でもあったので、自分はカタログ集め、オーディオ/FM雑誌蒐集へと乗り出した。とはいえ、一介の高校生にフル・コンポは無理なので、とりあえずプレイヤーに的を絞ることにした。近所で喫茶店をしているオッサンをたぶらかして強引にバイトとして侵入し、夏休みにはプレイヤーをゲットすることができた。いろいろ悩んで選んだのはPioneer PL-1150。ダイレクトドライヴの高性能機なのに4万を切るという当時では驚きのコスパ機だった。購入したのは今も同じ場所にある大阪屋。ある日配送屋さんがいきなりオーディオ装置を持ってきたので両親は目を丸くしていた。
さて、設置だが、これがまた一癖あった。自分は家のセパレート・ステレオにはAUX(入力端子)があるのは知って居たので、単純にそこへ繋げたらよいと思って居たのだが、いざ繋げても音は出ず。フルボリュームにすると少し音は出るには出るが、非常に小さい音でしかも妙に高音がシャカシャカいうのだ。自分はこの時初めてプレイヤーからピンコードで伝わる音は非常に微弱で、まずはその音を増幅 しなければ再生されないということと、レコードは音質向上と雑音低減のためRIAA偏差という方式で、つまりは高音を強調し、低音域を減衰したサウンドでカッティングされているのだと知ったのだ。幸い(?)なことに、我が家のセパレート・ステレオはプレイヤーがピンコードではないものの、取り外しのできる4本ピンのプラグとコードで接続されていると知ったので、それを切っていろいろ試行錯誤をしながらピンコードと繋ぎなおし、音が再生できるようにした。しかし、 これはこれで親爺とひと悶着あり、喧嘩寸前まで行った。まだ使えるものを切断して使えなくするとは何事か。というのである。もっともな意見ではあったが、自分は「だぁって切っちゃったんだから、しょうがないじゃん」の一点張りではぐらかしにかかった。しかしそのオーディオは親爺が買った物だし、所有権はもちろん親爺にある。しかたなく自分は切断した線をビニールテープで繋ぎなおし、自分のプレイヤーは自分の部屋の一角に眠ることとなった。
しかし、親はそんな自分(あるいは役に立たないプレイヤーを?)を哀れに思ったのか、初冬の自分の誕生日にアンプ、チューナーとスピーカーを揃えてくれた。これはもちろん自分がセレクトしたものだが、結局自分はプレイヤーだけで他のコンポ一式をせしめてしまったのだから、蝦で鯛を釣ったようなものだ。
この時のオーディオはプレイヤーとチューナーは今も現役だが、普段使いのシステムではなく、サブに甘んじて居る。アンプは7~8年で壊れ、スピーカーは10数年前にウーファーがぼろぼろになり、ツイーターも音割れしてお役御免となったが、今でもテーブル代わりになって部屋にある。
と、ピンク・フロイドの一曲でここまで話が膨らんだ。脳みその不思議というか、音楽には本当に思いがけない能力があるものだね。