Lizard Crimson

 アンディ・マックローチ。当時我々はこう呼んで居た。今は マカロク、或いは マカロック、マックロックと読みのバリエーションが広がってえらいことに・・・。
 まあ、そんなことはどうでもいい。ここではとりあえず”マカロク”で統一しま~す。

Lizard Crimson 1 マカロクはキング・クリムゾンの二代目ドラマーとして自分的には大きな存在だったのだろう。この名前はよく覚えていたのだ。何故なら、その頃(1975年)「新世代への啓示 A Young Person's Guide to King Crimson」が発売されて間もなくで、ほぼ幻といってよかったクリムゾンのメンバーの写真が多数ブックレットに掲載されていたということもあっただろう。その中に、「リザード」のメンバーの写真も掲載されていて
た。「この中にゴードン・ハスケルとマカロクが居るのだな?」と目を皿のようにして見たものである。「髪もじゃ髭もじゃで目がぎょろしとした男がハスケルとすると(オソロシイもので、この見解は全くの勘であったにも関わらず当たっていたのである。メル・コリンズ、ピート・シンフィールドそしてフリップ翁の顔は既に知っていた。)、後列右の窓の外をみるようにしている男こそがマカロクなのだな。なかなかいい男ではないか。」と読んだ。
Lizard & Islands Crimson キング・クリムゾンといへば、超一流のプログレ・バンド。経歴もテクニックもそして恐らく人柄も素晴らしい人間であるにも関わらず、音楽家として、ドラマーとして、今ひとつ脚光を得られなかったアンディ・マカロク。
 「リザード」でマカロクは堅実でタイトなプレイを聴かせている。筆者はこの「リザード」も好きなアルバムではあるが、“最高傑作”であるとは云えない。混沌とし過ぎているのだ。(過渡期の作品と呼ぶ人も居るのだ)おそらくクリムゾン・ファンの皆々様もそうであらう。このアルバムがクリムゾンの“最高傑作”であると臆面もなくのたまうことができる人間は、よほどの天邪鬼か偽善者かクリムゾンの全アルバムをきちんと聴いてゐない輩に違いなひのです。この時期のドラマーだったということで、世界に燦然と輝くプログレの最高峰バンドのメンバーだったというのに、高い評価を得られぬまま今日まで埋もれているひとつの要因であるのかなと少し悲しく思ふ。
 もうひとつの要因があるとすれば、マカロクは控えめで大人しい性格の故ではないかということである。とはいっても、筆者、マカロクにお会いしたことなどはもちろんない。しかし、今回マカロクの写真を検索してみた折、彼のまともな写真がほとんどないことに気付いたのである。集合写真で俯きながら、或いは横顔でと、前に出ている写真はほとんどなく、後列でひっそりと佇んでいるのである。この控え目な性格こそが、彼の評価をも控えめにさせて来たのではあるまいか、と推察せずには居れないのである。
Fields Mc
 しかし、1971年。そんなマカロクにも、いや、そんな実直な性格の彼であるからこそ、あるバンドから声がかかる。レア・バード Rare Birdを解散させたグラハム・フィールドが結成した『フィールズ Fields』である。グラハム・フィールズとマカロクを引き合わせたのは何とボブ・フリップ翁であったそうな。きっとフリップ翁なりにマカロクを何とかせにゃいかん。このまま埋もれさすのはもったいない。と思わせたのであろう。もしかしたら、ゴードン・ハスケルを毛嫌いしたことで煽りを受けたアンディに対し、幾ばくかの疚しさを感じていたのかも知れない。『フィールズ』は英国トラッドをベースにした牧歌的な雰囲気を持った、いかにもブリティッシュなロック・バンドである。トリオ編成であることからELPと比べられることが多いかもしれない。確かにクラシカルという面では共通項はあるが、『フィールズ』はスケールのでかいハードなサウンドを目指したのではなく、むしろキーボード(オルガン)を中心に据えた(この表現が適当であるかどうかは自分でも少々疑問ではあるが)”伝統的なブリティッシュ・ロック”を演りたかったのではないかと筆者は思うのである。
 しかし、この実直な作品は通受け止まりでさほどのヒットとはならず、知る人ぞ知る名作アルバムとして埋もれて行き、ついにセカンド・アルバムは製作されなかった。(後年、録音されていたテープが発掘され、セカンド・アルバムとして発売されている)嗚呼、何と不運なマカロク・・・。
Greenslade 1972年、『フィールズ』は解散してしまうが、その真面目さを買われてか、程無く元コロシアムのキーボード奏者デイヴ・グリーンスレイドから声がかかる。ツイン・キーボード・バンド『グリーンスレイド』への参加である。ここでは4枚のアルバムを残したが1976年に解散。 『グリーンスレイド』はブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックを語る上では欠かせないバンドのひとつではあるが、良くも悪くもリーダーであるデイヴ・グリーンンスレイドの技量とセンスが大きく反映されるバンドであり、刺戟的な要素にはやや乏しく、メジャーで秀でた存在とはなりえなかったのである。
 マカロクはまた一人で彷徨うこととなったが、この後も数々のセッションでその的確なテクニックを披露していたが、ほどなく音楽業界から足を洗い、今ではヨットの先生として活躍しているらしい。さすがに控えめな男らしく、ヨット関連で検索しても、ほとんど目立つような写真には出会えないのだ。さすが、といおうか、すごい、といおうか、ここまで徹底した”寡黙”なダンディズム。もういつの間にやら、尊敬の念が自分の中に芽生えてしまって、どうすることも出来ない。
 ちなみに、検索で見つけたヨット上の写真と小さな顔写真。私の敬愛する俳優テレンス・スタンプに似て見える色男である。それもかつて見せたことのない屈託のない自信に満ちた笑顔で。