昨夜(2014.6.27)報道ステーションで、天皇皇后両陛下が対馬丸慰霊碑に献花されたニュースにちなんで、対馬丸事件について内容の説明があったが、そのナレーションを聞いて唖然とした。そのイントロ部分の全文がコレ。

『1944年7月。サイパン島を占領された旧日本軍。
本土を防衛するための時間稼ぎとして次の戦場とされたのが〝沖縄〟だった。
多くの兵士が沖縄に来れば、大量の食料も必要になる。
足手まといになる民間人、子供たちを疎開させることが必要だった。
そして、8月21日。疎開船対馬丸は長崎を目指して出航。
船には1788人が乗っていた。
船の中では修学旅行気分ではしゃいでいた子どもたち。
しかし、その光景を一変させたのがアメリカ軍の潜水艦による魚雷攻撃だった。
1500人近い犠牲者のうちおよそ800人が、子どもたち。
しかし当時緘口令が敷かれ、家族でさえその事実を知ることはなかった。』

で、疑問点1
沖縄は時間稼ぎの戦場だったのか?
 ある意味では正しいといえば、正しいが、しかし、日本軍が時間稼ぎをするために沖縄に軍を増強させ、
「アメリカさん、こっちですよ。こっちへおいで~」といえば、来てくれるというものでしょうか?
違うでしょう。当時統治していた台湾以南からの補給路を絶つ。そして同盟国であった国民党中国との補給線確保。そして日本本土上陸作戦遂行のための橋頭堡を確保するために沖縄は地理上大変重要だったからこそ、日本軍もアメリカ軍も吸い寄せられるように沖縄を決戦場と選んだわけです。

そして、疑問点2
沖縄の人たちは軍人の『食料』を確保させるために、「足手まとい」をなくすために疎開させたのか?
 これもある意味正しい。しかし、それよりも大事なのは、戦場から“避難”させるためが第一の目的でしょう。どうやって生きて来たら、こういった穿った見方しか出来ない人間になれるのか知りたい!

そして、疑問点3
「当時緘口令が敷かれ、事件について語られなかった」のは特異で悪いことなのか?
 これも当然よいこととはいえないが、いたずらに不安を煽らぬよう口にしないようにされたことだろう。
 もし緘口令が悪いとするなら、それではつい数年前の東北大震災のとき、原発事故について「いたずらに危機意識をあおらないために」現状の多くを伝えなかった報道ステーションを始めとしたマスコミ自らに強いた「緘口令」は、一体何だったと言うのか?

 とにかく私が思うのは、戦争という残虐な行為を糾弾するために、旧軍をいたずらに一方的な“悪”として弾劾し続けるこの思想。
 確かに旧日本軍は負け戦をしかけ負けてしまったということは最大の害悪であるし、そして未曾有の死者・障害者を国民や諸外国の人々に出させたということでだけでも当然その責任は重大である。もちろんこれ以外にも数多の害悪があり罪が存在した。しかし、「日本軍」その存在すべてが“悪”と決め付けるそのやり方は余りに無謀であり無知である。
 こういう極端で偏向した報道がなされる限り、本当の意味での戦争を視聴者が理解し、それを排除してゆくことはできないだろう。
 世界にはいろいろな性質・考え方の人間がいるように、戦争に至る経緯にも幾多の側面があり、戦争そのものにも数多の性質があり、戦争とそれに携わる軍隊にもいろんな顔があり性格がある。
 そのことを理解した上で戦争を報道しなければ、それこそ、今すでにどこにも“いない”軍人(悪人)たちに全ての責任を押し付け、残るは被害者集団ばかりなりという、反省しない考えない人間たちを作り続けるだけのシステムを作り上げるだけのものとなってしまうだろう。

 それから、報道ステーションでは旧日本軍の責任を追及するばかりの内容であったが、民間人しか乗せていなかった軍艦ではない疎開船を魚雷攻撃で沈没させたアメリカ軍の責任には一切言及しなかったが何故か?
ぜひとも関係者に聞いてみたいものである。

 最後に、対馬丸が無事に到着していたとして、その行く先が長崎だったということに、何と言う運命だったのだろうかと重く考えずには居られない。犠牲者の皆様のご冥福を深く・深くお祈りさせて頂くばかりです。

 対馬丸

以下にも違和感を持った人が書いていました。お時間がある方はお読みください。
対馬丸事件についてで、報道ステーションで...