$旧聞逍遙-ぽっと
 こんなチラシが出てきた。高校時代のものかと思ったが、あの頃には既に「ぽっと」はあったから、中学時代にもらったものだろうと推測するが、何せ資料がないので自信が無い。間違っていたら、スマソ。
 とはいっても、そのテのところにしょっちゅう出入りしていた訳ではない。街中に近い中学に通っていたので、狸小路に住んでいた友人が居た。おそらく、その友人宅へ行く途中にでも、もらったものだろう。

 この『ぽっと』は、爆音で聴かせるロック喫茶として知られ、一部では「音の暴力」とさえ言う人たちが居るほどだった。また、舌がしびれる激辛(当時こんな言葉はなかったが)カレーでも一部では知られていた。
 実は自分は、『ぽっと』へ入ったのは、高校3年になってからである。何故かと言うと、童顔だったからである。当時のロック喫茶は一般会社員と学生には敷居が高く設定されていた。今のように小学生が「オレ、ロックが好きなんだ」と簡単に言えるような時代ではなかったのだ。
 それでも勇気を絞り出し、入っていったノダ。しかも一人で。
 ドアを開ける前から爆音は響いていた。キャプテン・ビヨンドの「Dancing Madly Backwards (On a Sea of Air)」だったと思う。

 ドアを開けると爆風とカレーとタバコと煮詰まったコーヒーの香りが身体を蜂の巣状にして抜けていった。いかにも「ロッカー」と思える常連たちがこちらを向き、つま先から顔までの舐めるようにして見回し、そして「チッ」と言いたげな表情を見せる。それもその筈、自分は学生服だったのだから。
 キャプテン・ビヨンドの片面は聞き終えたのか、それとも、違うアルバムをも聴き続けたのか。・・・・これから先はあまり覚えていない。ただ、なんとなく肩身の狭い思いをしながら、テーブルにしがみつくようにして座り、煮詰まったまずいコーヒーをすすっていたような気がする。
 記憶が戻るのは、その後の同じビルの地下にあったディスク・アップに寄った部分だ。エルドンの「It's Always Rock -n- Roll」が割と安く入っていたのだが、何せエルドンは一曲も聞いた事が無いので、二の足を踏んだ・・・ことは覚えている。

 その後『ぽっと』へ数度行ったと思うが、その記憶がない。懲りた訳ではなく、毛嫌いした訳でもない。ただ、この後はジャズ喫茶へ寄る事が多くなり、そこの居心地のほうがよかったからなのだろう。同じビルには地下にACTがあり、2階にはBeatがあった。そちらの方へと足が向くようになっていたのだ。
 ちなみに、ACTには美人のお姉さんが居るということで、その好奇心を満たすというようなところもあった。あそこは煙突のような照明がテーブルの上に突き出ており、それに頭をぶつけ、怒りが込み上げるが、お姉さんに好印象を残そうとぐっと我慢し、ニヒルに笑って去る。というのがわれわれモテナイ男達の通過儀礼のようなものでもあったと思う。

 それはともかく、この当時は音楽喫茶が絶頂期だったのではないだろうか?「神経質な鶏」「異間人」「楽屋」「ミルク」「B♭」「Bossa」などという名前が簡単に浮かんでくる。

 ロック喫茶で思い出に残っているのは上記以外のお店。もう少し後になるが、平岸にロック喫茶があり、そこに入ったらいきなりマスターがキング・クリムゾンの「Red]をかけてくれた。ロック喫茶といえばハード・ロックという固定観念のあった自分は思い切ってマスターに聞いてみた。

「マスターも、クリムゾン聴くんですか?」
 すると、マスター、さも当然というように、
「聴くさ。だって、クリムゾンって、へヴィーじゃないか。オレはへヴィーなのが好きなんだよね」と言って「21st Century Schizoid Man」までかけてくれた。一度しか行かなかったので名前は忘れてしまったが、意外に気さくなロック喫茶のマスターだったのを覚えている。
 あとは駅前にあった「チャイルドベイブ」というお店。ここは『ベイシティー・ローラーズ札幌公演』会場設営のバイトをやった後、バイト料を受け取る時に指定された場所だ。行くと、会場に居たトッポイ感じの若い男が居て、彼から受け取る事になるのだが、もめた。この時の公演は遅くまでかかり、会場の席を取り払うのに午前1時近くになってしまった。当然帰る足がない。すると会場の責任者は「タクシー使っていいよ。領収書持ってきたらその分払うから」と言ったのでタクシーで帰り、その領収書を持って行ったのだが、この若い男は払えないという。こちらは結構粘ったが、結局払ってもらえなかった。その上コーヒー代もこちら持ちだったので、このお店の印象は最悪、どんな雰囲気でどんな曲が流れていたかなんて、さっぱり覚えていない。

 など、とりとめもない想い出話デアリマシタ。