ライヴ盤を聞こうとCD棚を探したら、見つからない。確かにWAVEで買った記憶はあるのだが、ない。押入れや納戸の中を隅々まで探して出てきたのは、1本のカセットテープ。『TOME VI』と記載がある。今はこれで聴くしかないやうだ。
なんて聞いたら、フランス語を齧った人ならロマンチックな気分に浸ってしまったり、
ラファエロのあの「天使の絵」を思い浮かべたりして微笑んでしまうのだらうな。
しかし、自分がこれからお話するのは↓彼ら↓のこと。
衝撃だった。フランスはパリ。パリ=お洒落=都会派センス:などという広範に流布された平凡なイメージとは遥かにかけ離れた土の匂いと狂気と呪術を孕むサウンド、過剰なほどの演劇性と、そして何よりもグループとしての一体感が抜群なのだ。
動物の頭部やパンストを被って暴れまわると噂されたステージ・パフォーマンス。これだけ聴くと色物バンドかゲテモノ主義かと思われるだろうが、今動画を見て思ふのはクリスチャン・デキャンのイッテる目。これこそが想像を創造へと変える源泉だったのに違ひない。彼らの想像性はライヴでより高みへと昇華されるものなのだと、納得させられるパフォーマンスである。
しかし、残念なことに、「アンジュ」は絶頂期に、その音楽性の後退を余儀なくされる。パンクムーヴメントの到来である。それは発言している当事者の想定をも飛び越えるパワーを発揮、“オールド・ウェイヴ”と蔑まれた既存のアーティストたちへ心理的にネガティヴな影響を及ぼした。更に、プログレ系ミュージシャンにとっての“聖地”ともいえる日本で「アンジュ」の代表作『新ノア記』『エミール・ジャコティのお伽噺』のリリースが、'78、'79年。パンクに飲み込まれた後だったため、本来起こるべきであった日本での人気上昇も萎んでしまふ。
その結果、方向性の極端な変更を余儀なくされたり、迎合主義へと多くのアーティストを向かわせてしまった。もちろん「アンジュ」も例外ではない。メンバーの想像力は急速に低落してしまった訳である。
とはいえ、この後数年も聴くべき作品は発表していたが、続かなかった。そこで「アンジュ」も迎合主義へと向い、失敗する。その結果、一度解散の憂き目に逢ふこととなる。
幸い今日、音楽の世界に於いては価値観の分散が図られ、「アンジュ」も以前のコンセプトをも利用して活動を続けている。オリジナルメンバーはデキャンのみで、新たな迎合主義へ陥ったと見る向きもあるが、それはそれとして、自分は温かい目で見守っていやう、と思っている。