山岸凉子さんが「パエトーン」を書いたのがチェルノブイリ原発事故の2年後、1988年で、今から23年も前になる。広瀬隆氏、武谷三男氏らの著作に触発され、原発をリアルに告発した漫画である。当時自分もこの作品に触れ、原発について学び、その拡大政策に疑問を持つようになった。

 当時の言論空間は「日本の原発はチェルノブイリのとは違い、何重にも安全対策が練られているから大丈夫」というのが本流で、あれだけの大事故であったにもかかわらず、対岸の火事としてしまい、原発建設に歯止めはかからなかった。早くから原発告発をしてきた広瀬隆氏はマスコミに露出する機会を増やし、原発政策の甘さを批判しつづけたが、私の知る限りでは、関係者からは冷笑・失笑の対象でしかなかったようだ。
 しかし、くしくも「パエトーン」発表の翌年、福島第二原発でレベル2の事故があり、この翌年にも当該・福島第一原発でもレベル2の事故があったほか、レベル2以下の事故を含むと枚挙に暇がない。これは、原発をコントロールできていない明らかな証拠であるにもかかわらず、原子力推進派が歩を止めるることはなかった。
 そして、今日の福島第一原発事故。関係者や報道は「想定外」を強調しているが、そもそもの「想定」がどのようなレベルのものであったのか、本当に適当な想定であったのか、誰も検証できるものではない。この極めてあいまいな「想定」のもとに、原発は建設され稼動され続けて来た。要は、日本は地震大国といわれて来ているにも関わらず、「マグニチュード9なんて、大きな地震は起こり得ないだろう、きっと。」という「想定」がなされて来たわけである。
 
 冷静な対応を求める識者は、汚染したかも知れない食べ物を口にするなとも言う。でも、災害から4日を過ぎている被災地で、配給が乏しく食べ物がない地域で、目の前の食料を食べるなといえるか?チェルノブイリだって、汚染されているとわかっていても食べざるを得なかった人々が多く居たという事実があるではないか。水で洗い落とせば大丈夫なレベルといったって、その水自体が不足している。まず何よりも飲料水として扱われるのに違いない。もしかしたら、その水が汚染されてしまったかもしれないのだ。この事態も「想定外」だというのか?

 以前から警告は多々あった。それを検証し、反映してこなかったのは国全体の怠慢である。反原発を強く訴えなかった自分にも責任はあるのかも知れない。反原発イデオロギー完遂のため、放火まがいの卑怯なやりかたをした人たちも、自らの愚考を嘆くべきだ。それが運動の停滞に繋がったのは間違いのないことであろうから。しかし、嘆いている時間はもうない。今“鎮火”させないと、本当に取り返しがつかなくなる。言いたいことはまだまだあるが、今は関係者に決死の思いで頑張れと言おう。