正月4日。元ジャパンのベーシスト ミック・カーンが亡くなった。

 学生の頃、ジャパン旋風が吹き荒れていた。といっても女性限定であった。
ロック・バンドというよりはアイドルとしての人気であった。
 しかし、その様相が変化したのは彼らがサード・アルバム『クワイエット・ライフ』をリリースしてからだった。

$旧聞逍遙-Quiet Life EP
 それまではグラム・ロックの亜流といった感じで、当時切り口としては面白かったが、特に触手が動くほどとは思わなかったが、『クワイエット・ライフ』でそれは変わった。シンセサイザーを前面に打ち出したサウンドはロックの新たな形態を提示したものの如くに新鮮な響きがあった。

 当時の自分はプログレ至上主義者。だが、当時プログレは凋落の一途を辿っており、聞くべきものがなくなっていた。逆にパンクムーヴメントが定着し、それから派生した“ニューウェイヴ”が勃興しつつあった。『クワイエット・ライフ』はその“ニューウェイヴ”の最先端に位置づけられておしくない画期的な作品であった。知らず知らずのうちに引き付けられて行った訳である。

 しかし、友人に公言することはなかった。プログレ至上主義者としてのプライドがそれを許さなかったのだ。[つまらぬことに執着していたものである。]結局ジャパンの視聴は地下へ潜ることとなった。もちろんコンサートなどへ行くことはない。誰が見ているかわからないからである。

 だが、多分1980年のある日、ジャパンの連中が千歳空港に来るという情報を聞きつけ、自分は空港なら誰にも会わないだろうと、密かに彼らを見に行くことにした。
 そして、阿鼻叫喚の渦の中、違和感抜群の自分が寡黙なまま青や黄色や赤い髪の毛をした頭のでかい集団を見守っていた。
「ああ、ジャパンってかっこええ・・・・・。」至福のひとときだった。
 ・・・しかし・・・・・
 翌日、同じサークルのE君が部室で騒いでいた。
「いやあ、昨日東京から帰ってきたらさぁ、千歳空港でジャパンの奴らに会っちゃってさぁ。ぎゃあぎゃあ大騒ぎで参ったよ。写真撮ったから、現像したら見せるよ。」
 ナニッ、あの現場にE君が居たってか?写真撮ったってか?まさか、それに、オレ、写っちゃってないよな?!な!?
 プログレ至上主義者の眠られぬ日々が続いた。
 4日後、E君は写真を持ってきた。自分はどきどきしながら見せてくれと言った。
 E君は、「お前の軽蔑するジャパンだよ?」といって目の前に差し出した。
 あの度派手なメンバーを取り囲む女性たちのすさまじい姿が捉えられていた。そして、その中に自分の姿もあった。しかし、その姿は小さく、後姿だったので、誰もそれを自分だと疑う者は居なく、自分はほっと胸を撫で下ろした。


 極端な話であるが、真実である。
 その後知らず知らずの内にだが、ジャパンはニューウェイヴといわれた80年代の個性的なバンドたちへの橋渡しをしてくれていたと感じる。自分の見識を広げてくれた恩人といっても言い過ぎではないバンドである。

 そのバンドのサウンドの核のひとつ、ベースのミック・カーンが亡くなった。52歳。まだまだ若い。フレットレス・ベースの特徴を生かした波のようなうねりを呼ぶベース・ワークはおいそれと真似のできるものではなかった。その個性的なサウンドはジャコ・パストゥリアスに比肩するといっても言いすぎとは思わない。そのサウンドに、かの、(「気持ち悪い」とまで言われた)マリオネットのような(カニのような)動きが加わると、もう、無敵である。
 ミックの1stソロ・アルバム"Titles"(1982年)は、必ずしも万人に評価されるアルバムではなかったが、自分にとっては驚くべきアルバムと言わざるを得ないもので、愛聴盤といっていい。

 バウハウスのピーター・マーフィーと組んだ『ダリス・カー』、も評判はイマイチだったが、自分は好きである。

 アルバムはリリースされなかったが、ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロとの『After A Fashion』は名曲だと思っている。

 ミックの2ndアルバム『Dreams of Reason Produce Monsters』"の内ジャケットなどに彼の描いた「モンスター」のデッサンが掲載されているが、それらの彫刻を展示した展覧会も開かれたことがあると聞く。

 さて、ミックと直接面識のない自分であるが、友人のカメラマンに直接会った奴がいる。日本の某ビジュアル系バンドのリーダーの写真を撮るため、イギリスに行った折に、一緒に食事をしたという。ロックに一切興味がない彼の話には参った。
 「あるレストランに行ったら、知らないイギリス人が3人と、すみれ セプテンバァ~の男が居て、一緒に食べた。」
 「土屋昌巳ね、へぇ。それで、英国人というのは?有名人?」
 「俺は全然知らないけれど、なんとかカーンだったかな。それと、リチャード・バルバラなんとかいう人?」
 「ナニ、ミック・カーン!ぢゃあ、そのバルバラなんとかって、リチャード・バルビエリでは?」
「そうそう、そんな感じだった。そしてもう一人がスティーヴなんとか。」
「スティーヴ・ジャンセンだろう。みんなジャパンのメンバーじゃないか。」
 「へぇ、そうなの?知らないなぁ。でも、みんな親切でいい人だったよ。みんな紳士的で。いい感じだった。」

 といった調子。デヴィッド・シルヴィアン以外のメンバーが土屋さんを含めて勢ぞろいしていたのだから驚きである。ああ、アシスタントならぬ小間使いでいいから付いていきたかったなぁ。とつくづく思った瞬間である。

 ジャパンは1991年にRain Tree Crow名義でアルバム を出したが、シルヴィアンの「全部曲は僕が作った」発言で即分裂。 ミックの死により再結成は不可能となってしまった。嗚呼・・・・。合掌。[あれっ、ようつべ貼り付けできない??]

Quiet Life/Japan

¥1,661
Amazon.co.jpTitles/Mick Karn

¥1,748
Amazon.co.jp

Dreams of Reason Produce/Mick Karn

¥1,364
Amazon.co.jp

ウェイキング・アワー/ダリズ・カー

¥2,300
Amazon.co.jp

レイン・トゥリー・クロウ(紙ジャケット仕様)/レイン・トゥリー・クロウ

¥2,600
Amazon.co.jp